松本零士の結婚歴や妻は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

福岡県出身の漫画家・松本零士さん。

生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?

妻は漫画家?

子供はいる?

今回は漫画家の松本零士さんをリサーチしてみました。

松本零士の学歴・生い立ち・経歴

名前   松本零士
生年月日 1938年1月25日
没年月日 2023年2月13日(85歳没)
出身   福岡県
血液型  B型

 

松本零士の学歴

小学校・小倉市立米町小学校

中学校・ 小倉市立菊陵中学校(現・北九州市立菊陵中学校)

高校・・小倉南高校

大学・・大学には進学していません

福岡県久留米市生まれ。

本名は松本 晟(まつもと あきら)。

7人兄弟。

父親は下士官から叩き上げで将校である陸軍少佐まで上った、大日本帝国陸軍の軍人でパイロット。

4歳から6歳までは、父親がテストパイロットをしていた関係で、兵庫県明石市の川崎航空機の社宅に住み、その後は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に縁故疎開していました。

終戦後は、小学3年生から福岡県小倉市(現在の北九州市)に移り、小学校は小倉市立米町小学校を卒業。

現在の北九州市立小倉中央小学校。

小学生の時から漫画少年で、同人グループ『九州漫画研究会』を結成し、同人誌『九州漫画展』を主宰。

この頃から漫画家を志しました。

中学校は小倉市立菊陵中学校を卒業。

現在の北九州市立菊陵中学校

高校は小倉南高校を卒業。

小倉南高校は、福岡県北九州市小倉南区富士見にある男女共学の県立高校。

現在の偏差値は56。

1954年、高校1年性の時に『漫画少年』第1回新人賞を、『蜜蜂の冒険』で受賞。

同雑誌に『蜜蜂の冒険』が掲載され漫画家デビューしました。

その時から漫画界では知られた存在で、手塚治虫さんが出奔先の九州で原稿を描く時に、松本零士さんらの『九州漫画研究会』にアシスタントを頼んだといいます。

2023年(2月13日、急性心不全のため東京都内の病院で死去したことが、同月20日に東映により発表されたました。85歳没。

松本零士の出生作は『男おいどん』

高校卒業後の1957年に、毎日新聞西部本社版で連載をするはずでしたが急に担当者が代わりその話は反故にされたそうです。

しかし、しかし月刊少女雑誌『少女』での連載が決定して上京。

当初は雑誌『少女』と『少女クラブ』に不定期で描く少女漫画家として活動しました。

デビュー当時は『松本あきら』名義を使用。

1960年前後から少年誌、青年誌にも進出し、1965年から『松本零士』名義を使うようになりました。

少年時代からのSF小説が好きだったため、SF漫画などを好んで描いていたが、不人気で打ち切りも多く、出世作となったのは1971年から『週刊少年マガジン』に連載した『男おいどん』。

『男おいどん』は四畳半の下宿に住む主人公を始めとする若者たちの青春群像を描いた漫画でした。

この漫画で第三回講談社出版文化賞児童まんが部門受賞。

1974年10月から日本テレビ系で放送されたテレビアニメ『

松本零士 宇宙戦艦ヤマトの監督

宇宙戦艦ヤマト』には企画途中から参加。

松本零士さんは初めてアニメ監督を担当。

絵コンテ、美術、設定デザイン、メカニックデザインも担当しました。

松本零士さんは監督としてクレジットされていましたが、実質的は製作総指揮をとっていた西崎義展さんがしていたと、後に松本零士さんも監督は西崎義展さんだったとコメントしています。

1977年8月には劇場版『宇宙戦艦ヤマト』が公開され、配給収入9億円を記録しました。

松本零士 銀河鉄道999

漫画『銀河鉄道999』は1977年から1981年まで『週刊少年キング』で掲載。

劇場版アニメを含む、『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』の大ヒットで、『松本零士ブーム』をも巻き起こし、銀河鉄道999も1978年からアニメが放送され、『松本零士ブーム』の頂点となった作品になりました。

アニメながら最高視聴率は22.8%を記録。

映画版も制作され、

『銀河鉄道999』(1979年)

『銀河鉄道999 ガラスのクレア』(1980年)

『さよなら銀河鉄道999 -アンドロメダ終着駅-』(1981年)

『銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー』(1998年)

が公開。

1作目は配給収入16億5000万円、2作目は11億5000万円を記録しました。

松本零士の妻は漫画家?

松本零士さんが結婚したのは1962年。

24歳の時でした。

妻は漫画家の牧美也子さん。

年齢は3歳年上。

妻の牧美也子さんは兵庫県神戸市出身。

高校卒業後に銀行に就職しましたが、実家の卸問屋が人手不足のため銀行を辞めて手伝ううち漫画に興味を持つようになり、実際に描き始め、1957年、『母恋いワルツ』でデビュー。

1960年代初めは『りぼん』(集英社)、1963年創刊の『マーガレット』などで活躍。

気着せ替え人形、初代リカちゃん人形のイラストも担当しました。

『女性自身』(光文社)で1984年から1987年にかけて連載された『悪女聖書』は、1988年8月からTBS系でドラマ化されました。

松本零士に子供はいる?

松本零士さんの子供は娘が1人いるとの情報がありましたが、年齢などのは不明でした。

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