中川礼二(中川家)の結婚歴や再婚した妻・子供は?芸人や鉄道好きになったきっかけは?学歴や経歴

鉄道ファンで車掌のものまねでも知られる漫才コンビ・中川家の中川礼二さんの高校などの学歴や経歴は?

鉄道ファンやお笑い芸人になったきっかけは?

離婚歴があるようですが、元妻や再婚した妻、子供は?

今回は中川家の中川礼二さんをリサーチしてみました。

中川礼二の学歴・生い立ち・経歴

名前   中川礼二
生年月日 1972年1月19日
出身   大阪府守口市
身長   171cm
血液型  A型
所属   吉本興業

父親、母親、1歳年上の兄の4人家族。父親はトラック運転で、父親の務める会社の6畳と4畳半の一軒家の社宅で生活していました。

兄の剛さんとは小さい頃には顔が似ていました、徐々に弟の礼二さんの方体格が大きくなって身長差は10cm以上になり、幼少期も兄のお下がりを着ることはなかったといいます。

生活は貧しく、兄弟2人でミニカーが1台しかなく、自転車の買って貰えず、自転車の初めてにったのは中学生になってからでした。

家には風呂もなかったため、銭湯が休みの日には玄関で給湯器をホースで繋ぎ、水道代節約のため家族全員でシャワーを浴びていたといいます。

小学校は守口市立梶小学校、中学校は守口市立梶中学校を卒業。

鉄道は幼少期から好きで、トイレの小窓を空けて外に向かって1人で車掌のものまねをしていたといい、近所のおばさんに、

『中川さんのとこの弟の子、(頭は)大丈夫か?』

と言われ、心配した父親に大学病院に連れて行かれ、検査を受けさせられたといいます。

小学2年生の頃には父親が会社でもらった優待チケットで「なんば花月」に漫才を見に行くようになりましたが、礼二さんは最初は嫌がり、電車の乗れるからついて行っていました。

中学に入学した頃は肥満児で、野球部に入ろうと思っていましたがなかったため、同級生に経験者はいないだろうと思い、ラグビー部に入部しました。

高校は近畿情報高等専修学校に進学。

大阪府枚方市渚西一丁目にある私立専修学校で、高校ではありませんが当時は、通信制高校・向陽台高校と提携をしていて、卒業時には同高校卒業資格が得ています。

1993年からは通信制高校・長尾谷高校の技能連携校になっています。

高校時代もラグビー部に所属し、ポジションはフォワードの司令塔で最前列でスクラム全体を統率するフッカーでした。

高校卒業は、事務機器、光学機器メーカーのリコーに就職。営業を担当し「営業トップ賞」を受賞するなど優秀な営業マンでした。

中川礼二がお笑い芸人になったきっかけ

中川礼二さんがお笑い芸人の道に進んだのは兄の剛さんに誘われたことがきっかけでした。

元々大笑いは好きで、小学2年生の頃には父親が会社でもらった優待チケットで3ヶ月に1回ほど「なんば花月」に漫才を見に行くようになりましたが、礼二さんは最初は嫌がり、電車の乗れるからついて行っていましたが、その後は漫才にハマり兄弟で最前列で見るほど好きになりました。

礼二さんはリコーに勤務し優秀な営業担当でしたが、兄の剛さんが勝手に礼二さんの名前を書き、1992年にNSC大阪校に願書を出し11期生として入学。

『(会社を)辞めてまでっていうのもあったんで、会社に行きながらNSC通ってました』

礼二さんはNSCに1年通って何もなかったら会社の戻ろうと考えていたといいます。

在学中に「なんばグランド花月」など劇場に出演することになったためリコーは退社。

会社では1か月ぐらいは「辞めるな」と説得されたといいます。

中川家結成後

NCS在学中に漫才が評価され、在学中としては異例の『オールザッツ漫才』(毎日放送)に出演。

1996年1月には第17回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞を受賞し、『すんげー!Best10』(朝日放送テレビ)などで人気を獲得。

しかし、1997年に兄の剛さんがパニック障害を発症。

病状は人ごみに入ると呼吸を忘れてしまうほどの重症で、電車移動では礼二さんが1駅毎に剛さんを下車させて心呼吸をさせて落ち着かせるほどだったといい、数多くあったレギュラー番組は降板することになり、レギュラーはラジオ番組1本になってしまったといいます。

その後、医学的治療や認知行動療法を受け、パニック障害を克服。

2000年頃から本格的に復帰し、2001年末には第1回M-1グランプリでは大本命というプレッシャーの中、初代王者に輝きました。

鉄道ファンになったきっかけ

中川礼二さん小学校低学年の時に、京阪電車で親戚の家に行く時にたまたま先頭車両に乗って、その時に見た景色がきっかけで鉄道ファンになったといいます。

京阪電鉄の全般に詳しく、幼い頃は同社に勤めることが夢でした。

車掌のものまねでも知られ、鉄道関連の仕事も多く、2007年にはテレビドラマ『特急田中3号』(TBS)にゲスト出演。

2011年に公開された映画『RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ』ではは主人公・三浦友和さんの同僚運転士役を演じました。

バラエティ『笑神様は突然に…』(日本テレビ)では 吉川正洋さん、岡安章介さん、南田裕介さんと共に『鉄道BIG4』として出演。

鉄道番組の『それゆけ!中川電鉄』(MONDO TV)、『中川家礼二の鉄活』(TOKYO MX)などの番組も持っています。

中川礼二の離婚はいつ?

中川礼二さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1998年、26歳の頃で、妻は一般女性。
結婚したのは兄の剛さんがパニック障害を発症した翌年でした。

離婚したのは2001年、結婚3年目でした。

子供はいなかったようです。

中川礼二の再婚した妻

再婚したのは2009年、37歳の時でした。

妻はピアノ講師の女性。年齢は7歳年下で結婚時は30歳。

愛知県出身の女性で、友人の紹介で結婚の1年7ヶ月前に出会い交際をスタートさせ、1年の同性生活を経て結婚しました。

中川礼二の子供

中川礼二さんの子供は娘と息子の2人。

2009年に長女、2019年に長男が誕生しています。

娘を鉄道ファンに育てようとしていたそうですがいろんな鉄道に一緒に乗っていたそうですが、2016年には、

『(鉄道に)一緒に乗ってくれなくなりました。スタンプラリ-も楽しそうにしていたけど、乗っているとつらそうにしていた』

と娘が鉄道から離れたことを明かしましtあ。

その後、2019年月、長男が誕生した2ヵ月後には。

『これは完全に鉄オタに仕上げる準備をしていこうかなと。』

と鉄道の英才教育をすると話しています。

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