美容整形外科医の草分け的存在として知られる高須克弥さん。
元妻とは死別しているようですが死因は?
子供は何人?
現在のパートナーは漫画家の西原理恵子さんですが出会いはいつから?
この記事では高須克弥さんの元妻や子供、西原理恵子さんとの関係などについてリサーチしています。
高須克弥は医師の家系
愛知県幡豆郡一色町(現:西尾市一色町赤羽)出身。
第二次世界大戦末期の1945年1月に、庭に掘った防空壕の中で誕生。
実家は江戸時代から続く医師の家系で、父親は内科医、母親は産婦人科医。
裕福な家庭に育ちましたが、中学1年生の時に他界。
以降は母子家庭で育ちましたが、母親は忙しかったことから、主に小児科医だった祖母に育てられました。
1963年3月、東海高校(偏差値72)を卒業後、4月に昭和医科大学・医学部(現・昭和大学)に入学。
昭和大学卒業後は整形外科医局に所属。
整形外科を選んだの医者の家系でしたが、家族・親族に整形外科医がいなかったことが理由だといいます。
1973年、に「四肢切断者の幻肢に関する研究」で医学博士を取得。
大学院在学中にドイツ、イタリアに研修留学n行き最新の美容外科技術を学びました。
1974年、愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市一色町赤羽)総合病院「高須病院」を開業。
ドイツで学んだ形成外科の技術がまだ日本に浸透していないことを知り、美容外科医に転身。
1976年11月、愛知県名古屋市に「高須クリニック」を開業。
1977年に著書の「危ない美容法」がベストセラーになり、「美容整形の専門家」としてTVで紹介され注目を浴びるようになりました。
1991年頃から「高須クリニック」のCMが放送され「Yes!高須クリニック」のフレーズでお馴染みになりました。
高須克弥の元妻は高須シヅで死因は?
高須克弥さんの元妻は医師の高須シヅ(旧姓・星野)さん。
高須さんとシヅさんは昭和大学の同級生で、大学時代に交際を開始。
シヅさんは産婦人科に進みました。
1969年、24歳の頃に結婚。
シヅさんは昭和大学病院産婦人科の勤務を経て、1974年に高須さんが「高須病院」開業すると、実質的経営者として活動しました。
1999年には有色人種には不可能とされていた、劇薬で熱傷を作って再生させる、肌の若返り手術「ハードケミカルピール」を夫である高須さんの顔で実験し日本で初めて成功。
自らも高須さんの高須さんの考案した美容外科技術実験に協力し貢献。
息子を含む多くの美容外科医師の指導もしました。、
2010年3月29日にシヅさんは転移性肺がんのために65歳で死去しました。
高須克弥の子供は何人?
高須克弥さんの子供は息子が3人。
名前は長男が力弥さん、次男が久弥さん。三男が幹弥さんで3人とも医師。
3人とも高須さんの病院に勤務し、次男の久弥さんは歯科医、三男の幹弥さんは美容外科医をしているようです。
高須克弥と西原理恵子さんはいつから
高須克弥さんと西原理恵子さんが出会ったの2000年頃のようです。
年齢は19歳年下。
西原さんは1996年にフォトジャーナリストの鴨志田穣と結婚し、2人の子をもうけました。
出会ったきっかけは、西原さんが週刊誌のエッセイで「高須クリニックのCMのなんと下品なことか。でも好きだ。あなたのお友達になってやってもいい」と書いたことでした。
これを見た高須さんが西原さんにファンレターを送り、交流が始まりました。
出会った時、お互いに結婚していましたが、その後、西原さんは鴨志田さんと離婚。
その後、元夫が腎臓がんになると高須さんのアドバイスを受けながら2007年に最期を看取りました。
その3年後の2010年に、高須さんの妻のシヅさんが他界。
共に独身の身になった2人は2011年頃から「信頼できる友人」から恋愛関係に変わっいったといいます。
以降はずっとパートナー関係を続け、「しがらみなしで付き合いたい」という理由で籍を入れず事実婚を選んでいるといいます。
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