塚地武雅の結婚・彼女や妻、子供は?黒谷友香との関係や学歴・経歴

大学を卒業後、社会人を経験した後に、お笑い芸人になった塚地武雅さんの学歴や経歴は?

お笑い芸人になったきっかけは?

彼女や結婚、妻、子供は?

女優の黒谷友香さんとの関係は?

今回はドランクドラゴンの塚地武雅さんをリサーチしてみました。

塚地武雅の学歴・生い立ち・経歴

名前   塚地武雅
生年月日 1971年11月25日
出身   大阪府泉南郡阪南町(現・阪南市)
身長   168cm
血液型  A型
所属   プロダクション人力舎

父親、母親、弟の4人家族。父親は大手製鉄メーカーに勤務する会社員、母親も同じ会社で社内結婚でした。

父親は昔気質の亭主関白で酒好き、巨人ファンで塚地さんが母親に、当時の阪急ブレーブスの野球帽を買ってもらった時には「こんなのかぶるな」と怒り、ハサミで切り刻まれたといいます。

小学生の時には漫画家になりたくて、よく漫画を描いていました。

中学校は阪南市立鳥取中学校を卒業。中学時代は剣道部に所属。

当時はカンフー映画などに憧れ、アクションスターになりたい思っていたといいます。

高校は佐野高校に進学。

大阪府泉佐野市市場東にある男女共学の府立高校で、現在の偏差値は60。高校時代も剣道部に所属していました。

高校卒業後は1年の浪人を経て、桃山学院大学・経済学部に進学。

大阪府和泉市まなび野に本部がある私立大学で、経済学部の偏差値42。

大学時代はテニスやスキーのサークルに入り、副部長も務めました。

当時は茶髪で、今よりも30kg以上も痩せていたといいます。

大学卒業後は、仏壇メーカーに就職に就職し営業をしていました。

塚地武雅がお笑い芸人になったきっかけは?

子供の頃からお笑いは好きで、高校時代にダウンタウンにハマり、高校卒業の時に両親に『お笑いをやりたい』と言いましたが、鼻で笑われ、『とにかく大学に行け』と言われ、この時は断念。

浪人までして大学に行かせてもらったことから就職しましたが、お笑い芸人に夢が忘れられず、両親に『会社辞めようと思う。お笑いやりたい』と打ち明け、母親は泣き、父親が激怒しましたが、反対を押し切り退職。

24歳の時に上京し、プロダクション人力舎のスクールJCA5に期として入学しました。

ドランクドラゴンを結成し「はねトび」でブレイク

JCAで同期だった鈴木拓さんを誘う形で、1996年にコンビ『ドランクドラゴン』を結成。

鈴木拓さんはテレビ番組もクイズのパネラーになりたくて入学し、お笑いに知識はなくスクールでは消極的で、そのことを塚地さんが、

『お笑いを目指しているのに、執ように前に出てこない、センスがある奴や』

と勘違いしてコンビに誘ったといいます。

コンビ名の『ドランクドラゴン』は、香港映画の『ドランクモンキー 酔拳』と『燃えよドラゴン』が由来。

2000年4月から放送された『新しい波8』(フジテレビ)に出演したことで、翌年の2001年4月から放送の『はねるのトびら』(フジテレビ)のレギュラーに抜擢されブレイク。

全盛期には25%を超える視聴率を獲得し、2012年9月まで放送されました。

個人では2003年にドラマ『いつもふたりで』(フジテレビ)に出演し、俳優としても注目され、2004年の『仔犬のワルツ』(日本テレビ)ではイメージとは違う悪役を演じました。

2006年公開の映画『間宮兄弟』では佐々木蔵之介さんとのダブル主演にを務め、

キネマ旬報 新人男優賞

日本アカデミー賞・新人俳優賞

ブルーリボン賞・新人賞

毎日映画コンクール・新人賞

など多くの新人賞を受賞。

2007年には『裸の大将』(フジテレビ)の山下清役に抜擢され、2009年まで4作品が制作されました。

塚地武雅の彼女・結婚や妻、子供は?

塚地武雅さんは独身で妻、子供はいません。(2023年現在)。

会社員時代には結婚を考えた彼女がいましたが、芸人を目指そうと考えた時に、先の見えない仕事でもあるために、交際を続けることをあきらめて破局。

その後、2010年代中頃に元カノからファンレターが届き、ライブをたびたび見ていることや、芸人の夢に破れて戻って来て自分と結婚するだろうと思っていたことが綴られていたといい、最後には『来月、結婚します』と報告が添えられていたといいます。

塚地武雅と黒谷友香の関係は?

塚地武雅と検索すると『黒谷友香』のキーワードが出てきます。

これは黒谷友香さんが塚地武雅さんに好意を持っていたことが明かしたことが理由です。

ドラマで共演して知り合い、2人とも大阪出身でということもあり意気投合、連絡しあう中になりましたが、2018年頃に黒谷さんが地方の仕事から帰ってきた際に駅で、塚地さんらしき人が前を歩いているのを見かけ、『後ろ振り向いて!』との想いで電話するとやはり塚地さんでした。

黒谷さんは運命的なもを感じたといい、食事に誘をおうとしましたが、塚地さんからまだ仕事があると返されたといいます。

その後、テレビ番組で黒谷さんは、

『(返事が)「空いてるよ」だったらどうなっていたか分からない』

『運命っていたずら!』

と話しています。

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