矢作兼さんは東京都出身のお笑い芸人。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚した妻は?
子供は何人?
今回はお笑い芸人の矢作兼さんについてリサーチしてみました。
矢作兼の学歴・生い立ち・経歴
名前 矢作兼
生年月日 1971年9月11日
出身 東京都
身長 170cm
所属 プロダクション人力舎
小学校・豊島区立要小学校
中学校・豊島区立千川中学校
高校・ 東京都立北野高校(現・東京都立板橋有徳高校)
大学・進学していません
山梨県生まれ、東京都育ち。
幼少期に両親が離婚し、その後は母親に引き取られ東京で母子家庭で育ちました。
兄弟は3歳年上の姉。
小学校は豊島区立要小学校、中学校は豊島区立千川中学校を卒業。
中学時代はサッカー部に所属。
高校は北野高校を卒業。
北野高校は東京都板橋区徳丸にあった男女共学の都立高校。
2005年に志村高校との統合のため閉校。
2007年に開校の板橋有徳高校へ引き継がれました。
板橋有徳高校の偏差値は48。
高校で相方の小木博明さんに出会いました。
高校時代はテニス部に所属。
高校卒業後はビルのメンテナンス用品を取り扱う貿易会社に就職。
サラリーマン時代は上海勤務も経験しました。
矢作兼がお笑い芸人になったきっかけは?
『極楽とんぼの加藤浩次さんに出会ったからです。深夜番組で極楽とんぼを見て、面白くて大好きだったんです。そんなとき、偶然、加藤さんが当時働いていたバーで知り合い、通うようになって。話していると、案外自分もお笑いでいけるんじゃないかって(笑)。それで小木を誘って』
引用 https://numero.jp/
矢作兼さんは高校を卒業して就職後、3年目に会は自分が扱っている商品に全然興味がなかったこともあり、仕事に飽きてしまい退職し、高校の同級生だった小木博明さんを誘い、お笑い芸人を目指しました。
小木博明さんは矢作兼さんにお笑いに誘われたと時、全然驚かなかったといいます。
その理由は矢作兼さんがいいバイトを見つけるのが得意だったからだそう。
矢作兼さんの見つけたバイトに行ってみると、自分が選んだバイトよりも高収入で楽だったそうです。
その流れでお笑いの誘いも受けたと話しています。
矢作兼 おぎやはぎ結成
『そもそもお笑いライブがあることすら知らなかった』
引用 https://numero.jp/
1995年、23歳の時にお笑い芸人を目指した2人でしたがお笑いに関する知識は全くなかったといいます。
お笑い芸人はテレビに出るのが仕事だと思っていたそうで、お笑いの養成所も詐欺だと思い入らなかったそうです。
事務所は直接電話して探しました。
『おぎやはぎ』のコンビ名は事務所のオーディションを受ける際にコンビ名を決められず『小木と矢作』と書いていましたが、『小木矢作』と呼ばれるようになり、『おぎはやぎ』と書くようになりそのままだといいます。
矢作兼のブレイクのきっかけは?
時系列でいうと『踊る!さんま御殿!!』『M-1グランプリ』『めちゃ×2イケてるッ!』である程度認知されたような。『M-1』の一回目の結果は散々だったけど
引用 https://numero.jp/
養成所にも入学しなかったため、フリやオチなど基本的なことも知らずにネタを作り、お客さんには受けませんでしたが、芸人には『面白いね』と言われ、プロ言われたことで自信がついたといいます。
2001年にM-1グランプリ2001出場し決勝10位。
2002年は4位でした。
『さんま御殿』では全然ひな壇でも立ち上がらなかったことからさんまさんに『テンション低いな~』といじってもらったそうです。
『めちゃイケ』では笑わず嫌い王決定戦に出演し影響が大きかったといいます。
矢作兼の結婚や妻は?
矢作兼さんが結婚したのは2016年12月。
45歳の時でした。
妻は一般女性。
年齢や馴れ初めなどは明かしていません。
妻かどうか不明ですが、結婚の前年に週刊誌で優香似の12歳年下の女性とのクロアチア旅行が報じられています。
結婚を決めたとについては、43歳の頃に一緒に仕事をした女優の樹木希林さんに、
『じゃあもう結婚できないわね。モノの分別のつく男に選べる女なんかいないわよ』
と言われ矢作兼さんは、
『そうか、完璧な女性はいないんだ』
と理解したと話しています。
矢作兼の子供は何人?
矢作兼さんの子供は1人のようです。
子供は息子。
2019年8月に誕生しました。
名前は『朔太郎(さくたろう)』と命名したことを明かしています。
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