東京出身の山田邦子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
馳浩との関係は?
今回はタレントの山田邦子さんをリサーチしてみました。
山田邦子の学歴・生い立ち・経歴
名前 山田邦子
生年月日 1960年6月13日
出身 東京都
身長 168cm
所属 アスリート・マーケティング
小学校・江東区立八名川小学校
中学校・川村中学校
高校・川村高校
大学・川村短期大学
東京都荒川区出身。
兄と弟の3人兄弟。
父親は建設会社の営業職。
母親は父親と同じ建設会社の元受付嬢。
父親は面接で母親を受付嬢として選び、口説いて結婚したそうです。
父親は山田邦子さんは可愛がり、心配のあまり門限は5時で友達の家に泊まるもの禁止で、修学旅行厳禁だったといいます。
修学旅行だけは頼み込んで了承をもらったものの、心配し『近くに用があったから』と京都の宿泊先まで会いに来たんだとか。
家ではソース、コーヒーが禁止で必ずしょうゆだったそうです。
小学校は江東区立八名川小学校を卒業。
成績はオール5で毎年学級委員長を務めたそうです。
中学は川村中学校、高校は川村高校を卒業。
川村中学校・高校は東京都豊島区目白にある私立の女子校。
川村高校の現在の偏差値は50。
お嬢様が多いことで知られる学校です。
中学、高校と水泳部に所属しながら、ギター・マンドリン部、演劇部に助っ人で参加していました。
大学は川村短期大学家政科(現在の生活学科)に進学。
大学時代に父親のつてで西武建設から内定をもらい、制服を作り、健康診断も受けましたが芸能界の道を選び、父親は一年は口をきいてくれなかったそうです。
山田邦子がお笑い芸人になったきっかけは?
『バスガイドのものまねやレコード大賞の授賞式のものまねなどのネタを披露して、クラスメートを笑わせていた。女子校で自分と似たような感性を持つ同性のクラスメートを相手に披露していた「教室芸」が、彼女の原点になっている。』
https://toyokeizai.net/
山田邦子さんは中学時代からクラスでものまねを披露し人気者になりファンクラブまで出来たそうです。
高校1年生の頃に西城秀樹さんの物真似で日本テレビ系の『TVジョッキー』に出演。
短大に進むと早稲田大学の寄席演芸研究会に入り、『可愛家マッハ』の芸名で活動
素人参加番組に片っ端から応募しました。
『笑っていいとも!』の前身番組の『笑ってる場合ですよ!』の『ブスコンテスト』出場し、勝ち抜きコーナーでバスガイドのネタでチャンピオンの座を獲得。
これがきっかけで太田プロダクションに所属しました。
山田邦子 好感度ナンバー1
1981年5月から放送されたTBS系ドラマ『野々村病院物語』女優デビュー。
当時20歳でした。
1980年代前半は女優としての仕事もしましたが、お笑いタレントとしての活動を増やし1981年5月から放送された『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。
『ひょうきん絵描き歌』のコーナーでブレイクしました。
1985年2月には、女性でありながら丸刈りの坊主頭になり話題になりました。
1988年10月から放送されたフジテレビ系の『クイズ!年の差なんて』の司会を務め人気番組となり司会者として活躍。
他にもTBS系の『MOGITATE!バナナ大使』などの人気番組も多数抱えました。
1989年10月から放送されたフジテレビ系の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』で自身の名前が入った冠番組を持つようになりました。
1988年から1995年まで、NHK『好きなタレント調査』において8年連続で第1位となり、好感度タレントの代名詞とされ、天下を獲った唯一の女性芸人と言われています。
山田邦子 露出減少
1992年、高視聴率だったにもかかわらず、『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』が突然打ち切り。
後に実際は番組レギュラーを頻繁に変更するスタッフに山田邦子さんがが腹を立てメイン司会者の自らも番組降板をしたことが理由と話しています。
1995年にはTBS昼の帯番組『山田邦子のしあわせにしてよ』が放送開始されましたが、裏番組を追い抜くことはできず低視聴率となり、それまで好感度ナンバーワンだったことの反動としてバッシングが起こりました。
1995年夏からバッシング記事が続き、12月には写真週刊誌『FOCUS』でテレビ制作関係者との恋愛スキャンダルが報道され、これがきっかけで好感度が急落。
1997年には『山田邦子のしあわせにしてよ』が打ち切りになり冠番組はなくなりました。
山田邦子の結婚歴は夫、子供は?
山田邦子さんが結婚したのは2000年1月。
39歳の時でした。
夫は後藤史郎さん。
テレビ番組制作会社『株式会社ゴッズダイナミックワールド』の社長。
ゴッズッズダイナミックワールドは『爆報! THE フライデー』や『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』などの番組を担当している会社です。
夫の年齢は9歳年上。
山田邦子さんに子供はいないようです。
山田邦子と馳浩の関係は?
山田邦子と検索すると馳浩の関連ワードが出てきます。
山田邦子さんはプロレスファンで1987年にテレビ朝日系のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』のMCを担当。
ある回で番組内で流血試合の映像を見た山田邦子さんはゲストの馳浩さんに、
『血はすぐに止まるものなんですか?』
と何気なく聞いたところ、馳浩さんはなぜかキレ気味で、
『つまんない話を聞くなよ。止まるわけがないだろ』
と答えスタジオが凍りついてしまったことがあったそうです。
視聴者からプロレスラーが女性タレントに対し声を荒げたことに対する非難も集まりましたが、番組は半年で終了したこともあり、プロレスファンの間では、
『山田邦子はプロレスラーをバカにする発言をして、馳浩を激怒させた』
との誤った認識だけが残ったといいます。
それから34年後の2021年1月に後楽園ホールの試合にシークレット参戦を果たした馳浩さんが試合後にゲスト解説に来ていた山田邦子さんに接近しのグータッチを交わしたことで再び話題になったようです。
『いまだに言われるけど、私の中では何もないのよ』
引用 https://number.bunshun.jp/
当時の番組ではプロデューサーなどが怒られた山田邦子さんを心配し、一部のプロレスファンを除き『タレントが言葉の暴力に遭ってる図『』みたいになったことで番組が終了したといいます。
山田邦子さんは『周りが過剰反応しちゃったんです』と話しています。
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