京都府出身の国広富之さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は娘?
今回は俳優のの国広富之さんをリサーチしてみました。
国広富之の学歴・生い立ち・経歴
名前 国広富之
生年月日 1953年4月23日
出身 京都府
身長 171cm
所属 高岡事務所
小学校・京都市立嵐山小学校
中学校・京都市立蜂ヶ岡中学校
高校・亀岡高校
大学・京都学園大学
京都府京都市出身。
父親は九州男児で京都で映画製作の仕事をしていて、何本も作品を掛け持ちし、家にはほとんどいなかったそうです。
仕事柄、きれいな女優さんがお中元やお歳暮を持って訪れることもよくあったといいます。
母親は京都出身でとにかく優しく、叱る時も京都弁で『○○したらあかんえ』だったといいます。
小学校は京都市立嵐山小学校、中学校は京都市立蜂ヶ岡中学校を卒業。
中学時代はバレーボール部に所属していたようです。
高校は亀岡高校を卒業。
亀岡高校は京都府亀岡市横町にある男女共学の府立高校。
現在の偏差値は58。
高校時代はフォークソング同好会に所属しアリスにハマてっいたそうです。
大学は京都学園大学経済学部を卒業。
京都学園大学は現在の京都先端科学大学。
京都府京都市右京区にある私立大学で経済経営学部の偏差値は48~53。
大学時代はエキストラのアルバイトに明け暮れていました。
国広富之が俳優になったきっかけは?
『国広のルーツは大学時代、エキストラのアルバイトをしていた京都の撮影所』
引用 https://www.sponichi.co.jp/
通っていたのは京都映画撮影所(現在の松竹京都撮影所)。
主に時代劇を撮る撮影所でした。
大部屋に所属し、熱心に通っていたことから3ヵ月後に自分のかつらや羽二重を用意してもらえたそうです。
大部屋はスターになりたくて頑張る人もいましたが大概の人は職業としてやっている人で、そういう先輩がセリフのある役を回してくれたといいます。
理由はギャラで、役につくとワンシーンで1万円、エキストラワンシーンで3500円。
1日でエキストラは2シーン出られて7000円で、それを1週間やると3万5000円になります。
しかし、役につくとその回はそのワンシーンしか出られないので、週4日は仕事がなくなるそうで、職業でやっているは稼ぎが少なくなるためやりたがらなかったそうです。
国広富之さんは役がつくと嬉しいので喜んでやっていたといいます。
大学卒業の1年前に父親に、
『役者をやりたい』
と相談すると、俳優を身近で多く見ていて給料も知っていたことから当初は
『食っていけないぞ』
と反対されたといいます。
俳優として成功した後、父親には、
『おまえは運のいい男だ』
と言われたそうです。
国広富之 トミーとマツでブレイク
1976年、大学卒業と同時に松浦竹夫演劇研究所に入所。
翌年の1977年6月から放送されたTBS系ドラマ『岸辺のアルバム』で俳優デビュー。
同ドラマで脚光を浴び、同年に、
ゴールデン・アロー賞放送 新人賞
を受賞。
1979年の大河ドラマ『草燃える』に源義経役で出演。
従来の源義経のイメージを覆す、野心家かつ政治的に無能な男として描かれた源義経を演じ話題なり、同年10月から放送されたTBS系ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』で主演しブレイク。
同ドラマでは「『お前なんか男じゃねぇ、男女(おとこおんな)のトミコ!』と罵倒されると人格が強靭な男に変わる新米刑事の岡野富夫役を演じました。
国広富之 婚約破棄
1983年6月、水沢アキと婚約破棄をしています。
当時、国広富之さんは30歳、水沢アキさんは28歳でした。
水沢アキさんとは1982年1月から放送されたにドラマの共演で出会い、9月は交際を宣言。
国広富之さんがキューバダイビングを目的にしたサイパン旅行から帰国した時、成田空港で同行していた付き人の28歳の男性が、大麻所持の現行犯で逮捕。
この件は国広富之さんはまったくの無関係でしたが、付き人の他に、若い女性の同行者もいたことが発覚。
国広富之さんはこの女性についてキューバダイビングの免許を持つ同じ趣味の仲間と説明しましたが、水沢アキさんとの関係はこじれ、説得しました話し合いはつかず婚約破棄に至ったようです。
国広富之の結婚歴や妻は?
国広富之さんが結婚したのは1988年。
36歳の時でした。
妻は一般女性。
一説ではバイオリニストの柳平寿美さんともいわれています。
趣味のスキューバーダイビングと通じて知り合ったといわれているようです。
国広富之の子供は娘?
国広富之さんの子供は娘2人のようです。
次女は谷内里早さんという名前で芸能活動をしています。
2008年1月から、ローティン向けファッション雑誌『ピチレモン』で活躍。
同年7月公開の映画『火垂るの墓』に出演し女優としも活動。
2016年からはメインクーンという名のバンドでボーカル兼ギターリストとして活動し、2018年12月からソロとして活動しています。
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