東京都出身の益子直美さん。
生い立ち、経歴や高校などの学歴は?
バレーボール選手時代は?
結婚や夫は?
子供はいる?
今回は元バレーボール選手の益子直美さんについてリサーチしてみました。
益子直美の学歴・生い立ち・経歴
名前 益子直美
生年月日 1966年5月20日
出身 東京都
身長 175cm
所属 株式会社サイン
小学校・東金町小学校
中学校・金町中学校
高校・共栄学園高校
大学・進学していません
東京都葛飾区金町出身。
下町で育ちました。
父親、母親、2歳年上の姉の4人家族。
父親は工場に勤務。
小学校は葛飾区立東金町小学校、中学校は葛飾区立金町中学校を卒業。
幼稚園の頃から子供たちよりも頭一つ大く、付けられたあだ名は、巨人やガリバー。
背が高いのが嫌で小さく丸まって、なるべく目立たないようにしていたといいます。
アニメ『アタックNo.1』主人公に憧れて、中学入学と同時にバレーボールを始め、熱心に練習に通いました。
中学校のバレー部は東京都のベスト4止まりでしたが、益子直美さんは東京都の選抜、関東の選抜、さらには全国の有力選手がひしめく強化合宿にも選出。
周りがすごい選手ばかりで、自分には無理だと遠征を断り、バレーボールは中学限りで辞めると一時は決意。
しかし、部活を引退し高校の受験勉強を始めていた時、友人に誘われてバレーボールのワールドカップの試合を会場で見たことでバレーボールへの情熱を取り戻しました。
高校は共栄学園高校に進学。
共栄学園高校は東京都葛飾区お花茶屋にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は50~58。
高校進学の時は関東近郊の多くのバレーボール強豪校からスカウトされましたが、地元を離れることは考えられず、実家から通える共栄学園高校に決めたそうです。
1984年の高校3年生の時には、第15回春高バレーで2連覇を狙う八王子実践高校と準決勝で対戦し、シーソーゲームの末、最後は益子直美さんがバックアタックで決め勝利し、八王子実践高校の連勝を105で止めました。
決勝の四天王寺高校には破れ準優勝。
高校3年生の時には全日本にも選ばれました。
高校卒業後は大学には進学せずに実業団に入団しました。
益子直美のバレーボール選手時代は?
益子直美さんは1985年、イトーヨーカドー女子バレーボール部に入団。
高校3年生の時に全日本に選出され、当時は全日本の選手は日立に行くのが自然な流れだったそうです。
しかし、日立の練習に参加してみると、身長が180cmあってもレギュラーになれない選手いるほど層が厚く、練習にもついていけなかったといいます。
ここではレギュラーを取るのは無理だと思い、日立を倒すという目標を立て、若手が中心だったイトーヨーカドーに入団したそうです。
実際に5年後の1990年には、第23回日本リーグで念願の初優勝し、益子直美さんも活躍し1991年には主将も経験しました。
現役時代も全日本には選出されましたが、フル出場できたのは1度だけで、オリンピックに出場することはできませんでした。
1992年に26歳で現役を引退しました。
益子直美の現役引退後
1992年に現役引退後、イトーヨーカドーアシスタントコーチを務めた後、1993年に退社。
その後はタレントととして活動。
1996年にはテレビ朝日のアトランタオリンピック関連のメインキャスターを務めました。
2015年10月から淑徳大学のバレーボール部監督に就任し、6部リーグで低迷していたチームを2年で4部リーグに浮上させました。
2021年6月には、日本バレーボール協会理事に就任することが発表されました。
益子直美の結婚や夫
益子直美さんが結婚したのは2006年12月。
40歳の時でした。
夫は元ロードレーサーの山本雅道さん。
年齢は12歳年下で、結婚時は28歳。
山本雅道さんはプロの自転車ロードレーサーで元日本代表。
ふたりが出会ったの2002年。
益子直美さんがテレビの仕事で自転車ロードレースの取材をしたことがきっかけでした。
山本雅道さんからのアプローチで交際がスタートし、約1年半の交際を経て結婚しました。
益子直美に子供はいる?
益子直美さんに子供はいません。
結婚した時、益子直井さんは40歳でしたが、自然に妊娠できると思っていたといいます。
2年経っても子供が出来なかったことから、42歳で病院に行き、タイミング法、人工授精をしたがうまくはいきませんでした。
仕事はやめて、3年間不妊治療だけに集中しましが子供は出来ず、45歳の誕生日に不妊治療を断念したこと明かしています。
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