栃木県出身の山口智子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
夫は俳優の唐沢寿明さんですが結婚の馴れ初めは?
子供はいる?
今回は女優の山口智子さんについてリサーチしてみました。
目次
山口智子の学歴・生い立ち・経歴
名前 山口智子
生年月日 1964年10月20日
出身 栃木県
身長 170cm
所属 研音
小学校・栃木市立栃木第一小学校
中学校・栃木市立栃木西中学校
高校・栃木女子高校
大学・青山学院女子短期大学
栃木県栃木市出身。
父親、母親、3歳年下の妹、祖母の5人家族。
実家は創業120年以上を超える老舗旅館でした。
小学校は栃木市立栃木第一小学校を卒業。
栃木市立栃木第一小学校は2010年に栃木第二小学校と統合して現在は、栃木市立栃木中央小学校になっています。
小学校1年生の時に両親が離婚し、妹は母親に引き取られ、山口智子さんは父親に引き取られ祖母に育てられました。
その後、母親と妹とは長い間絶縁状態でした。
母親が出て行った後は、実家の旅館は祖母が一人で切り盛りしていました。
中学校は栃木市立栃木西中学校を卒業。
中学では生徒会長を務めました。
高校は栃木女子高校に進学。
栃木女子高校は栃木県栃木市薗部町にある県立の女子校。
現在の偏差値は63。
小さい頃から祖母に旅館を継いで女将になるのだ言われて育ち、週末はよく宴会の準備や片付けを手伝わされたといいます。
親は実践修業が大切だから、大学に進学する必要はないという考えで、山口智子さんは期待に応えたい一方、本当にそれが自分の望む道なのかと葛藤もありました。
大学の受験は許されなかったため、受験をせずに進学できる、推薦入学で青山学院女子短期大学家政学科に合格。
『2年たったら帰ってくるから』
と上京し短大に進学。
上京後は女子学生寮で生活しました。
山口智子が女優になったきっかけは?
仕事を始めた理由は、極々シンプル。『田舎に帰りたくなかったから』。ほんと、不純な動機です(笑)。
引用 https://www.joseishi.net/
上京後のモデルにスカウトされ、短大在学中にモデルの仕事を始めました。
1986年に東レキャンペーンガール、翌年の1987年にはこの年からスタートしたアサヒビールのキャンペーンガールにも選出。
モデルは一生できるものではないと思いながら、無理やり、東京にいる理由を作り、実家には、
『もうちょっと待って』
という気持ちで迷っていた時期に、所属事務所に届いた朝ドラのヒロインオーディションの案内をたまたま目にし、チャレンジしようと思って受けたところ合格し女優デビューが決定しました。
朝ドラ・純ちゃんの応援歌のヒロイン
山口智子さんがヒロインに抜擢された朝ドラ『純ちゃんの応援歌』は1988年10月から放送されました。
放送開始当初は23歳。
同ドラマは平均視聴率38.6%、最高視聴率44.0%を獲得。
1992年10月から放送された日本テレビ系ドラマ『いとこ同志』で民放連続ドラマ初主演。
その後も民放のトレンディードラマに主演、ヒロイン級の役で出演し、人気女優の地位を確立しました。
1996年4月から放送されたフジテレビ系ドラマ『ロングバケーション』は初回視聴率でいきなり30.6%という高視聴率を記録。
最高視聴率は最終回の36.7%。
このドラマの影響でピアノを習い始める男性が増えるなど『ロンバケ現象』といわれた社会現象を巻き起こしました。
山口智子と夫の唐沢寿明の馴れ初めは?
山口智子さんと唐沢寿明さんが結婚したのは1995年12月。
31歳の時でした。
夫の唐沢寿明さんは1歳年上で結婚時は32歳。
出会いは山口智子さんのデビュー作『純ちゃんの応援歌』。
唐沢寿明さんのエッセイによれば、本作で西川弘志さん演じる昭が亡くなり、家族が号泣するシーンで山口智子だけがどうしても泣くことができずに撮りなおしを求めたそうです。
唐沢寿明さんはこのシーンを見せ場にしようと熱演していたため不満に思いましたが、山口智子さんが出演者一人ひとりに深々と頭を下げているのを見て、好意を持ち始めたといいます。
交際は共演直後から始まったいわれ、1992年にガムテープと手錠とカメラを持った二人組の男が、山口智子さんのマンションに宅配業者を装って侵入する事件が発生。
この時、唐沢寿明さんが部屋にいたことで暴漢は撃退されましたが、この事件でふたりの交際が発覚しました。
山口智子に子供はいる?
山口智子さんに子供はいません。
『私はずっと、子供を産んで育てる人生ではない、別の人生を望んでいました。今でも、一片の後悔もないです。』
引用 https://gendai.ismedia.jp/
子供は選択して産まなかったこと明らかにしています。
山口智子の実家の旅館は廃業
山口智子さんが1995年に結婚後、しばらくすると父親も再婚し、継母が旅館の女将となり、祖母の跡を継ぎましたが、2005年5月に父親が他界。
8億円の負債があったこともあり、旅館は同年に廃業しました。
しかし、父親の死がきっかけで山口智子さんは34年ぶりに妹と再会しました。
その後、母親とも再会し交流が始まったといいます。
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