静岡県出身の増田恵子は元ピンク・レディー。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
ピンク・レディーになったきっかけは?
結婚や夫は?
子供はいる?
今回は歌手の増田恵子さんについてリサーチしてみました。
増田恵子の学歴・生い立ち・経歴
名前 増田恵子
生年月日 1957年9月2日
出身 静岡県
身長 160cm
所属 ケイ・オフィス
小学校・焼津市立焼津南小学校
中学校・焼津市立焼津中学校 静岡市立末広中学校
高校・常葉高校(現:常葉大学附属常葉高校)
大学・大学には進学していません
静岡県静岡市に小林家の3人兄弟の末っ子とそて生まれました。
出世名は小林啓子。
3歳の時に父親が事故で他界、その後は静岡県焼津市の母親の姉夫婦の家に預けられ、小学校入学前に養子になり、増田牲になりました。
叔父は漁師で、食卓にいつもいろんな魚が並んでいたそうです。
小学校は焼津市立焼津南小学校を卒業。
中学校は焼津市立焼津中学校に入学。
中学ではバスケットボール部に入部。
中学1生の時に叔父が病死したことで、静岡市内に引越し、静岡市立末広中学校に転校。
中学3年生の時に演劇部で根本美鶴代(未唯mie)さんに出会いました。
高校は常葉高校に進学。
常葉高校は現在の常葉大学附属常葉高校。
静岡県静岡市葵区にある私立の女子校。
現座の偏差値は43~46。
高校卒業後は大学などには進学せず、ピンク・レディーとしてデビューしました。
増田恵子が歌手になったきっかけは?
増田恵子さんは中学で未唯mieさんに出会い、高校も同じ常葉高校に進学。
1973年の高校1年生の時にヤマハ音楽が主催するオーディションにそれぞれ合格。
授業料免除の特待生にも合格し、ヤマハボーカルスクールに通いました。
スクールの講師の勧めで2人で『クッキー』というデュオを結成し、1974年のポプコン東海地区大会決勝に進出。
デビューのきっかけはテレビ番組『スター誕生!』でした。
2人おそろいの青と赤のサロペットで素朴な雰囲気で登場し、当時ほぼ無名だったフォークグループ・ピーマンの『部屋を出て下さい』を歌ったことで逆に注目され合格しました。
ピンク・レディーとしてデビュー
ピンク・レディーを発掘したのはビクターの飯田久彦さん。
会社の方針に逆らってのプロデュースでした。
『スター誕生!』では素朴な雰囲気だった2人を手足を露出したキラキラ光る生地のミニの衣装、、リズムやビートを強調した曲調など派手なデュオとしてプロデュース。
1976年8月にピンク・レディーとしてシングル『ペッパー警部』をリリースしオリコン週間チャート最高4位の大ヒット。
同年末に、
第18回日本レコード大賞・新人賞
を獲得。
続くシングル『S・O・S』、『カルメン’77』はオリコン週間1位の大ヒット。
4枚目の『渚のシンドバッド』がピンク・レディー初のミリオンセラーを記録。
1977年12月発売の6枚目のシングル『UFO』もミリオンセラーとなり、1978年末の、
第20回日本レコード大賞
を受賞し、
1977年末には第28回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦は2000年までに4回出場しいます。
ピンク・レディーの解散と再結成
1978年12月にリリースした10枚目のシングル『カメレオン・アーミー』もオリコン1位を獲得し、9曲連続首位。
しかし、1978年大晦日の『第29回NHK紅白歌合戦』への出場を辞退し、日本テレビ系のチャリティー番組『ピンク・レディー汗と涙の大晦日150分!!』に出演して視聴率は惨敗。
11枚目のシングル『ジパング』はオリコン4位に留まり連続首位記録はストップ。
紅白歌合戦出場辞退でマスコミから激しいバッシングを受け、松田聖子さんなどの新しいアイドルの登場もあり人気に陰りが見えました。
ただ、当時はアメリカでの活動もしており、全米デビューシングルの『Kiss In The Dark』はビルボード総合37位に入り、全米三大ネットワークの一つNBCのゴールデンタイムで、自らの名前を冠する番組を持つなど実績を積みましたが、アメリカでの契約を更新することのないままに帰国。
日本で活動しましたが、以前のような勢いを取り戻すことは全く出来ず、1981年3月31日に解散。
解散後、1984年、1989年、1996年、2003年、2010年に5度再結成されています。
増田恵子 ソロ活動
ピンク・レディー解散後は、増田けい子として1981年11月に『すずめ』でしソロデビュー。
オリコン週間9位にランクインするヒットとなり、ソロ歌手として自身最大のヒット曲となりました。
その後、2012年までにシングル10枚、オリジナルアルバム4枚、ベストアルバム2枚をリリースしています。
増田恵子の結婚や夫、子供は?
増田恵子さんが結婚したのは2002年6月。
44歳の時でした。
夫は音響会社『ギルド・ジャパン』社長だった桑木知二さん。
年齢は3歳年上で、結婚時は48歳。
元はミキサー技師で多くのドラマや映画の音響を手掛けていました。
ふたりはCMの仕事で出会ったようです。
結婚の2年後の2004年に夫の桑木知二さんの会社が倒産。
2004年1月に 東京地方裁判所へ自己破産を申請しています。
現在は音楽の専門学校で講師を務めているようです。
増田恵子さんに子供がいるという情報はありませんでした。
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