北海道出身の元衆議院議員・杉村太蔵さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
トイレ掃除で証券会社に入社?
衆議院議員に出馬したきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は元衆議院議員の杉村太蔵さんをリサーチしてみました。
目次
杉村太蔵の学歴・生い立ち・経歴
名前 杉村太蔵
生年月日 1979年8月13日
出身 北海道
身長 178cm
血液型 O型
小学校・旭川市立末広北小学校
中学校・旭川市立六合中学校
高校・・札幌藻岩高校
大学・・筑波大学
北海道旭川市出身。
父親も祖父も歯科医。
曽祖父は弁護士。
弟が2人いる3人兄弟の長男。
父親は厳格で、ぐに手が飛んでくるようなスパルタ教育だったといいます。
小学校は旭川市立末広北小学校を卒業。
祖父は北海道にテニスを広めた人と言われており、その影響もあり杉村太蔵さんも小学4年生から軟式テニスを始めました。
児童会長も務めました。
中学校は旭川市立六合中学校を卒業。
中学時代に硬式テニスに転向し、道大会で優勝。
生徒会長も務めました。
高校は札幌藻岩高校を卒業。
札幌藻岩高校は、北海道札幌市南区にある男女共学の札幌市立高校。
現在の偏差値は60。
俳優の大泉洋さんも卒業生で、1年生の時に大学生だった大泉洋さんが教育実習生として同校高に来ていたといます。
高校時代のテニ部に所属し、高校3年生の時には、なみはや国体でテニスの男子ダブルスで優勝。
高校の頃は車が好きで、高校の近くにあった自動車の修理工場の求人をチェックして、すぐに働いてお金が欲しかったそうで、大には進学するつもりはありませんでしたが、父親に、
『大学くらいは行け』
と言われたことと、テニスで国体で優勝したことで各地の有名大学から声がかかり、その中の国立大学の筑波大学があり、親と先生の勧めで、筑波大学・体育専門群に推薦入学しました。
大学ではポーツ推薦で入学したにもかかわらずテニス部には入らず、勉強もせず、引きこもるようになったといいます。
大学から連絡をもらった母親が、杉村太蔵さんのアパート訪れ、母親と話したことで勉強をする気になり、曽祖父の職業だった弁護士を目指そうと司法試験予備校に通うようになりました。
しかし、予備校通いに集中しすぎて、大学にほとんど行っていなかったことが親にばれ、仕送りを打ち切られたといいます。
大学を2年留年しましたが、卒業できる見込みはなく、司法試験の勉強でも結果が出ていなく、大学は6年で退学しました。
杉村太蔵はトイレ掃除で証券会社に入社?
大学を退学して実家に帰った杉村太蔵さんに父親に、
『何でもいいから働け』
『働かないなら死ね!』
言われたといいます。
この言葉で杉村太蔵さんは目覚めたといい、アルバイトをしながらの就職活動を開始。
しかし、当時は就職氷河期で正社員の募集は受からず、派遣社員になり派遣先は清掃会社に決まりました。
仕事先のビルに証券会社がありそのフロアの廊下のクリーナーかけ、トイレ掃除、プリンター、ファックス用紙の交換などををしていると、ドイツ証券に勤務するカナダ人と冗談を言い合う関係になり、掃除をしている経緯を聞かれ答えると、
『うちの会社で働かないか』
と言ってくれたといいます。
試験を受けて契約社員として入社。
入社後、実は自分が数字に強かったことに気づいたといいます。
株式調査部に配属され、当初はごみの片づけや資料集め、レポートなどの書類を届けるなどの雑用をしていましたが、届けた時にそのレポートのことを質問すると結構教えてくれたといい、知識を身に付けられたそうです。
杉村太蔵が衆議院議員になったきっかけは?
ドイツ証券で郵政民営化をすると株価が上がるから選挙の動向を調査するように言われ、その仕事の中で自民党のHPにたどり着き、衆議院選挙の候補者を公募していることを知り、一次審査の論文課題が自身が調査していた『郵政民営化と構造改革について』であったことから何気なく論文を書いて書類を送ってみたといいます。
すると数日後に自民党本部から電話があり、5度の面接を受け、合格し立候補が決まりまいた。
郵政解散を受けて行われた2005年9月の第44回衆議院議員総選挙に比例南関東ブロック35位で出馬。
この選挙は自民党の圧勝で、同ブロックの多くの候補者が次々と小選挙区で当選。
順位が繰り上がった事ため、杉村太蔵さんも当選しました。
26歳での当選でした。
当選後、
『夢だったんですよ、BMWを持つことが』
『早く行ってみたいですね、料亭に』
『国会議員の給料。2500万円ですよ』
などの自由奔放な発言が話題になりました。
杉村太蔵の当選は1回だけ
選挙当選後は武部勤さんの作った勉強会『新しい風』に入会。
しかし、2007年の自民党総裁選で竹部勤さんんが『新しい風』で福田康夫さんを推すことで話しをまとめたことに反発し脱会。
総裁選挙では麻生太郎に投票しました。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では北海道1区から小選挙区立候補を表明。
候補者選考委員会は杉村太蔵さんと、YOSAKOIソーラン祭りの創始者である長谷川岳さんの両名の演説で党員の意向を調整しようとしてましいたが、杉村太蔵はそれを無視。
候補者選考委員会は2008年1月に長谷川岳さんを公認することを員会で正式決定しました。
杉村太蔵さんは無所属での出馬を模索しましたが、最終的に出馬を断念しました。
2010年の第22回参議院議員通常選挙で、たちあがれ日本の比例代表候補として出馬しましたが、落選しました。
杉村太蔵の結婚歴や妻は?
杉村太蔵さんが結婚したのは2006年5月。
選挙に当選した翌年の、26歳の時でした。
妻の名前は文さん。
年齢は2歳年下。
出会いは2005年5月で、証券会社に勤務していた時でした。
大手損害保険会社の決算発表を聞きに行った時、広報担当だったのが文さんだったそうです。
杉村太蔵さんは一目惚れし、『彼女と絶対に結婚しよう』と猛アタック。
しかし、何度デートに誘ってもはぐらかされ、それでも諦めずにデートに誘い、初デートは国会議員になってからだといいます。
初デートで、
『あなたはぼくのお嫁さんになります』
とプロポーズ。
結婚を承諾してもらいたのはそれから2ヵ月後の4回目のデートだったそうです。
国会議員を失職した時はイライラしてしまい、文さんに、
『おれが国会議員だから結婚したんだろ?』
と言ってしまったことがあったといいます。
すると、文さんは、
『そんなことないわよ。大体ね、あなたが2回も3回も当選するとは思ってないわよ』
『ただ、パパだったら食いっぱぐれることはないんじゃないかと思って結婚したのよ』
と言われ、議員じゃなくても、とにかくこの人を食べさせていければいいんだとわかった時にはものすごい肩の荷が下りたと話しています。
『かなり厳しい生活ランクかもしれませんけど、最低250年は生きれるようにした』
議員を辞めた後はタレント・政治評論家・コメンテーターとして活動しながら、株投資や飲食店経営をしています。
杉村太蔵の子供は何人?
杉村太蔵さんの子供は3人。
子供は娘が2人と息子が1人のようです。
長女、長男、次女の順で、長女は2007年に誕生しています。
2020年6月に長女は6年生、長男は2年生とコメントしています。
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