埼玉県出身の向井亜紀さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りのきっかけは?
夫はプロレスラーの高田延彦さんですが結婚の馴れ初めは?
子供は何人?
今回タレントは向井亜紀のさんについてリサーチしてみました。
向井亜紀の学歴・生い立ち・経歴
名前 向井亜紀
生年月日 1964年11月3日
出身 埼玉県
身長 170cm
所属 ホリプロ
小学校・大宮市立栄小学校
中学校・大宮市立馬宮中学校
高校・・浦和第一女子高校
大学・・日本女子大学家政学部
埼玉県大宮市出身。
父親は医師で耳鼻科を開業。
母親は高校の化学の教師。
兄弟は兄と妹。
小学校は大宮市立栄小学校、中学校は大宮市立馬宮中学校を卒業。
読書家で小学生の頃から1ヶ月に50冊以上も読んでいたといいます。
小学校の時は駅伝の選手、中学時代は器械体操部に所属。
高校は浦和第一女子高校を卒業。
浦和第一女子高校は埼玉県さいたま市浦和区にある県立の女子校。
偏差値は72。
高校時代は新体操部の所属。
将来は中学校の理科教師を目指していました。
大学は日本女子大学家政学部に進学。
偏差値は62。
大学時代に芸能界入りし、大学は2年で中退しています。
向井亜紀が芸能界入りしたきっかけ
向井亜紀さんが芸能界入りしたのは日本女子大学在学仲に、文化放送の『ミス・ディスクジョッキー・コンテスト』で優勝したことがきっかけでした。
1984年にに文化放送の『ミスDJリクエストパレード』で芸能界デビュー。
『ミスDJリクエストパレード』は1981年~1985年まで放送されていたラジオの深夜放送で、現役の女子大生が曜日ごとにDJ(ディスクジョッキー)を務める番組。
1983年に始まった『オールナイトフジ』と共に女子大生ブームの走りになった番組でした。
向井亜紀 芸能界デビュー後
1984年、20歳で芸能界デビュー。
一人暮らしも始め、アルバイトもしていいました。
1985年10月から放送開始されたフジテレビ系クイズ番組『TVプレイバック』にレギュラー回答者として出演。
『TVプレイバック』の司会は萩本欽一さん。
回答者としてドリフターズのメンバーや石田純一さんが出演。
この番組に出演したことで、向井亜紀さんは世間に顔と名前を知られるようになりました。
1991年1月から放送されたフジテレビ系ドラマ『結婚の理想と現実』で女優デビュー。
1993年4月に放送開始された朝日放送テレビ『朝だ!生です旅サラダ』のサブMCを担当。
『朝だ!生です旅サラダ』は放送開始時は草野仁さんがメインMCで、1997年4からメインMCが神田正輝さんにに交代。
放送開始から一貫して出演しているのは向井亜紀さんだけです。
向井亜紀と高田延彦の結婚の馴れ初めは?
向井亜紀さんが高田延彦さんと結婚したのは1994年1月。
29歳の時でした。
夫の高田延彦さんは2歳年上で、結婚時は31歳。
高田延彦さんはテレビに出演していた向井亜紀さんを見て『この人だ!』と思っていたそうで、頼んで紹介してもらったそうです。
初デートではワインを高田延彦さんが9本、向井亜紀さんが4本飲み、それで意気投合。
高田延彦さんはその日にプロポーズ。
高田延彦さんは緊張から何とかしようとワインを9本も飲み、話しは向井亜紀さんがしていたそうで、解散した後に高田延彦さんは倒れてしまったといいます。
約5年の交際を経ての結婚だったそうです。
向井亜紀の子供は何人?
向井亜紀さんの子供は2人。
子供は双子に2人とも息子です。
2003年11月に誕生しました。
名前は長男が万里(ばんり)さん、次男が結太(ゆうた)さん。
代理出産で生まれました。
向井亜紀 代理出産
2000年9月、妊娠判明と同時に向井亜紀さんに子宮頸癌が発覚。
妊娠継続をあきらめ、同年11月21日広汎子宮全摘出手術を受けました。
2002年8月、『夫の遺伝子を残したい』との理由で代理出産依頼のため渡米。
翌年の2003年に新薬の成果で、奇跡的に卵子を3つ採卵することに成功。
代理母にの胎内に移植したところ、2つの胚が着床に至り、同年11月に双子の男児が誕生しました。
2004年に東京都品川区役所に双子の出生届を提出しましたが、遺伝子的に親子であっても、
『日本では産んだ女性が母親。』
との法務省の判断で不受理。
高田夫妻は出生届不受理決定を不服とし、裁判で最高裁までもつれて3年以上かかりましたが『実子』とは認められず、双子は『日本在住のアメリカ人』とされました。
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