太川陽介の妻との馴れ初めは?子供は息子?高校などの学歴や経歴

太川陽介さんは京都府出身。

経歴や高校などの学歴は?

妻は女優の藤吉久美子さんですが馴れ初めは?

子供は息子?

今回はタレントの太川陽介さんをリサーチしてみました。

太川陽介の高校などの学歴・経歴

名前   太川陽介
生年月日 1959年1月13日
出身   京都府京丹後市
身長   171cm
所属    サンミュージックプロダクション

中学校・大宮町立大宮中学校

高校・峰山高校 → 日本学園高校

大学・進学していません

本名は坪倉育生(つぼくら いくお)

3人兄弟の末っ子。

実家は京都の呉服問屋。

中学校は大宮町立大宮中学校。

中学時代は野球部に所属。

高校は峰山高校に進学。

峰山高校は京都府京丹後市にある男女共学に府立高校で、現在の偏差値は51。

高校時代に芸能活動をはじめ上京し、日本学園高校に転校して高校を卒業しました。

日本学園高校は東京都世田谷区にある私立の男子校で、現在の偏差値は55。

大学には進学していません。

太川陽介の芸能界デビューのきっかけ

太川陽介さんの芸能界デビューのきっかけはスカウト。

太川陽介さんは高校時代に桜田淳子さんの大ファンで、1975年に公開された桜田淳子さん主演映画「スプーン一杯の幸せ」の相手役に応募しますが、その時すでに締め切りを過ぎていたため選外になりました。

しかし、その選外になった履歴書がサンミュージック創業者の相澤元会長の目に留まり、半年後にスカウト。

相澤元会長には「君は10年に一人の逸材だから」とおだてれたと話しています。

芸名は創業者の相沢元会長が決め、「太陽」という文字を入れ「介」は文字の形が末広がりで縁起がいいと思ったから付けたといいます。

太川陽介 アイドルデビュー

太川陽介さんはスカウトされ、1976年12月に「陽だまりの中で」で歌手デビュー。

デビュー時のキャッチコピーは「昇れ!太陽くん」。

翌年の1977年7月にリリースした3枚目にシングル「Lui-Lui」が自身最大にヒット曲になりました。

オリコンチャートは週間最高で38位、売り上げは6.3万枚でしたが、同年暮れの、

第19回日本レコード大賞・新人賞

を受賞し、各音楽大賞の新人賞も総なめにしました。

1979年からはNHKの「レッツゴーヤング」の司会を務め、人気アイドルとして活躍。

1986年まで司会を務めましたが、司会を辞めた後は一時期仕事がなかった時もあったといいます。

その後はタレント・俳優業に転向し、舞台俳優としても活動。

現在は旅番組や通販番組などに多く出演しています。

太川陽介の妻の藤吉久美子との馴れ初めは?

太川陽介さんが結婚したのは1995年1月。

36歳の時でした。

妻は女優に藤吉久美子さん。

妻の藤吉久美子さんは1961年8月5日生まれで年齢は2歳年下。

結婚時は35歳でした。

馴れ初めは1994年のNHKのドラマ「大阪で生まれた女やさかい」での共演。

ドラマでは2人の共演シーンは1度しかありませんでしたが、撮影終了後に新大阪駅に向かうタクシーで相乗りし、そのまま新幹線で東京まで一緒に帰り、東京で食事をしたことで交際につながったといいます。

それまではお互いに顔と名前を知る程度で面識はありませんでしたが、食事をした時、藤吉久美子さんの食事の仕方が太川陽介さんにとって完璧だったそうです。

太川陽介さんは初婚でしたが、藤吉久美子さんは再婚でした。

藤吉久美子さんは1988年に歌舞伎役者の四代目河原崎権十郎さんと結婚し、1992年に離婚していました。

太川陽介の子供は息子?

太川陽介さんの子供は1人。

子供は息子です。

2001年7月に生まれました。

名前は弘喜(ひろき)さん。

太川陽介さんが42歳、藤吉久美子さんが39歳の時の出産でした。

高齢出産の年齢で初産であったこともあり、帝王切開での出産だたそうです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました