福岡県出身のエッセイストで小説家・畑正憲さん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
なぜムツゴロウ?由来は?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回はエッセイストで小説家の畑正憲さんをリサーチしてみました。
畑正憲(ムツゴロウ)の学歴・生い立ち・経歴
名前 畑正憲
生年月日 1935年4月17日
没年月日 2023年4月5日(87歳没)
出身 福岡県
血液型 A型
高校・・日田高校
大学・・東京大学理学部
福岡県福岡生まれ。
父親は医師で、満州国に赴任したため幼少期は満蒙開拓団の村で、動物たちとともに育ちました。
母親は産婆。
5人兄弟の3番目。
終戦の直前に、兄の受験に同交して帰国。
中学、高校時代を父親の郷里である大分県日田市で生活しました。
中学2年生の時に先生に英語の小説を渡され読むようになり、最初は難しかったものの半年もするとスラスラ読めるようになり、高校時代は英語を読むときに辞書を引くことはほぼしなくなったといいます。
高校は日田高校を卒業。
日田高校は、大分県日田市田島にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は58。
大学は東京大学理学部動物学科を卒業。
偏差値は68。
父親は医学部の進学を望んでいましたが、理学部動物学科に進学するか、本が好きだったことから文学部哲学科に傍系進学するか悩み、結局父親に無断で理学部動物学科を選択しました。
大学卒業後は大学院理学研究科修士課程に進み、アメーバの研究に携わりました。
畑正憲 小説家デビュー
大学で研究はやりたいことで本気で打ち込んでいましたが、文学も諦められずに机の上には原稿用紙を置いてあったそうです。
『自分はなんて中途半端な男なんだ』
と常に葛藤がつきまとい研究者を辞めました。
その後、、学習研究社(現在の学研ホールディングス)に就職。
学んできたことを活かしたいと社長に話すと、
『だったら動物生態室に行きなさい』
と映像部門に配属され教育関係の番組や映画を制作を担当。
仕事は面白く、家に帰ることも忘れながら撮影に没頭していましたが、1967年にデビュー小説『われら動物みな兄弟』をよその出版社で出版したことが問題になり退職。
翌年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。
1969年に金の星社から子供向けSF『ゼロの怪物ヌル』、『天然記念物の動物たち』などを刊行しました。
畑正憲はなぜムツゴロウ?由来は?
畑正憲さんは1980年から2001年までフジテレビで放送された、世界各国の自然と動物を紹介したテレビ番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』で知られます。
ニックネームのムツゴロウの由来は、1970年に『ムツゴロウの博物志』し、その後、ムツゴロウシリーズとして多数発売。
ムツゴロウの由来はムツゴロウシリーズを出版する際に出版社が名付けたそうす。
畑正憲 ムツゴロウ王国を開園
1971年、東京を離れ、北海道に移住。
1972年、北海道浜中町に動物と触れ合うための施設『ムツゴロウ動物王国』を開園。
入場料は1700円。
約450万平方メートルの敷地に犬約140匹、猫約40匹、馬約20頭がいるようです。
畑正憲の結婚歴や妻は?
畑正憲さんの結婚歴は1回。
結婚したのは23歳の時で、学生結婚でした。
妻は中学の同級生の純子さん。
同じクラスにはなったことはありせんでしたが、お互いのクラスで級長をやっていて、級長たちが集まる会で知りあって少し話すようになったそうです。
畑正憲さんが純子さんに『好きだよ』と書いた手紙を渡し、純子さんも『好きです』と返事を書いて中学2年生の時に交際が始りました。
当時は中学生の交際は厳しく、交際が学校にバレた時には、
『お前恋愛しとるだろ!すぐ別れなさい。何かあったら退学だぞ』
と脅されたといいます。
そのため学校では気軽に話すことは出来なくなり、学校の帰りにひとけのない場所で待ち合わせをして1~2時間くらい話をするのがデートだったそうです。
高校も同じ高校に進学しましたが、高校時代も恋愛は公にはできなかったそうです。
畑正憲の子供は何人?
畑正憲さんの子供は1人。
子供は娘です。
名前は明日美さん。
明日美さんはムツゴロウ王国のスタッフをしていた男性と結婚し、結婚後もムツゴロウ王国を支えているようです。
孫も4人いるようです。
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