福岡県出身の元競輪選手・中野浩一さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
競輪選手になったきっかけは?
伝説や獲得賞金は?
結婚や妻は?
子供はいる?
今回は元自転車競技選手の中野浩一さんをリサーチしてみました。
中野浩一の学歴・生い立ち・経歴
名前 中野浩一
生年月日 1955年11月14日
出身 福岡県久留米市
身長 172cm
血液型 B型
高校・・八女工業高校
大学・・大学には進学していません
父親は競輪選手。
小学の時はソフトボール部、中学時代は陸上部に所属。
高校は八女工業高校に進学。
高校時代も陸上部に所属し、高校2年生の時にはインターハイに出場。
400メートルリレーで優勝しました。
陸上の実績から大学の推薦の話しのあり、将来は体育の先生になろうと思っていましたが、行きたい大学でがなかなかなく、同じ陸上部でインターハイの短距離で優勝した同級生が中央大学に入学が決まっていて、中野浩一さんが先生に『関東の大学がいいです』というと、
『じゃ、お前も中央にするか』
と言われ、『お前も』の一言で自分はオマケだと感じ、
『お前は俺のおかげで入学できた』
みたいに言われると腹が立つと思い大学進学は断ったそうです。
中野浩一が自転車競技を始めたきっかけは?
『競輪選手だった親父に「ゴルフはお金がかかるから、自転車にしなさい」と言われて、父親と同じ道を選びました。それが僕の競輪人生の始まりです。』
引用 https://www.ninomiyasports.com/
工業高校だったため就職先の多くありましたが、大学進学を模索してたため、就職を探したときにはに行きたい就職先は残っていなかったそうです。
プロ野球選手から転身した尾崎将司に倣ってプロゴルファーを目指そうと思いましたが、父親に『ゴルフはお金がかかるから』と自転車競技を勧められ、競輪学校を受験し1974年に第35期生として合格しました。
中野浩一の伝説や獲得賞金
1975年に競輪学校を卒業し、同年5月に久留米競輪場でデビュー。
デビュー戦から18戦無敗の記録を作り、『九州のハヤブサ』と呼ばれました。
1978年には競輪祭を制し、特別競輪10回目の出場にして初めての優勝。
1980年には、日本の全てのプロスポーツ選手として初めて年間賞金獲得額1億円突破を達成しました。
1981年の日本選手権競輪を制し、高史上2人目の特別競輪3連覇を達成。
1983年には史上最多の6回目の賞金王の座を獲得。
1985年に開始されたKEIRINグランプリを制し、同レースの初代優勝者となりました。
最盛期の970年代後半から1980年代前半の強さは驚異的で、400mバンクを1周程度しか逃げ切れる力がない先行選手だと簡単に捲られていました。
1976年に初めて世界自転車選手権・個人スプリントに参戦し、4位入賞。
翌年の1977年には日本人選手として初めて世界選手権・個人スプリントで優勝し、以降は毎年優勝し続けて1986年までに前人未踏の10連覇を達成しました。
1992年、37歳で引退しました。
中野浩一さんの競輪での生涯獲得賞金は13億1916万2077円。
世界選手権の昔の賞金はわかりませんでしたが、2022年のスプリント・ケイリンの賞金は8000ユーロで、日本円で約125万円でした。
中野浩一の結婚歴や妻は?
中野浩一さんが結婚したのは1987年1月、31歳の時でした。
妻は元歌手の(MAOMI)さん。
1964年1月30日生まれで、年齢は9歳年下。
渡辺プロにスカウトされ、1983年6月に『誰にも云わないで』でアイドル歌手デビュー。
馴れ初めは。1986年2月の共通の友人との食事でした。
その後、中野浩一さんが入院した際には、小久保尚美さんがお見舞いに行くなど交際を深め、出会って約1年で結婚に至りました。
中野浩一の子供は何人?
中野浩一さんに子供がいるという情報はりませんでした。
コメント