東京都出身の元力士・花田虎上さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
横綱時代の実績やアメフト時代は?
兄弟仲が悪い?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
現在の収入源は?
今回は元横綱の花田虎上さんをリサーチしてみました。
目次
花田虎上の学歴・生い立ち・経歴
名前 花田 虎上(はなだ まさる)
生年月日 1971年1月20日
出身 東京都中野区
身長 180cm
血液型 B型
小学校・杉並区立松ノ木小学校
中学校・明治大学付属中野中学校
高校・・明治大学付属中野高校
大学・・大学には進学していません
本名は花田 勝(読みは同じ)
父親は元大関の貴ノ花利彰さん、母親はタレントの藤田紀子さん、2歳年下の弟は第65代横綱の貴乃花光司さん。
小学校は杉並区立松ノ木小学校を卒業。
幼少期から親方でもある父親の厳しい指導を受け、小学5年生の時には『第5回わんぱく相撲・東京場所』に杉並区代表として出場し、ベスト8に進出。
中学校は明治大学付属中野中学校、高校は明治大学付属中野高校を卒業。
東京都中野区東中野にある私立の男子校で、中学校の偏差値は58、高校の偏差値は69。
相撲部は強豪で全国大会の常連でした。
『弟(貴乃花親方)はプロで強くなって横綱になってという意識もあって行ったと思う。虎上(まさる)については、悩みながら、弟のことも考えながら、よし一緒にやろうという感じでプロに入ったと思う』
1988年、高校2年生の春に父親が師匠だった藤島部屋に入門し、プロの力士となり高校は中退しました。
花田虎上が現役力士時代の実績は?
1988年3月に1988年3月場所、四股名若花田として初土俵。
同期には弟の貴乃花さん、曙さんがいました。
当初は天性の勝負勘と強靭な足腰で相手の攻撃を凌いで技を繰り出して勝つという勝ち方でしたが技術を磨き、入門2年目の1990年3月場所で十両に昇進。
1991年9月場所2日目には、前頭3枚目の地位で横綱・旭富士を右上手投げで破り初金星を獲得し、自身初の三賞(殊勲賞・技能賞)を受賞しました。
1991年11月場所で、自身初の三役となる新小結に昇進しましたが、7勝8敗の負け越し。
1993年3月場所で初優勝し、同年5月場所前に四股名を若花田から若ノ花に改名。
同年7月場所で大関に昇進し、翌年の
1994年11月場所前に若ノ花から若乃花と改名。
1995年1月場所で、弟の貴乃花さんは第65代横綱に昇進。
1998年3月場所で4回目の優勝、翌5月場所でも場所連続優勝を果たし、第66代横綱昇進を決めました。
27歳の時でした。
横綱土俵入りでは、後継者が少ない『不知火型』を敢えて選択。
1999年3月場所と5月場所は、左足の太股や左足関節の外側靱帯を痛める故障で、2場所連続して途中休場。
同年7月場所は休場、9月場所は出場しましたがケガの影響で黒星が続き、周囲からの『休場勧告』も無視して出場し7勝8敗の負け越し。
横綱の皆勤負け越しは、15日制が定着してからは史上2人目で、大乃国以来10年ぶりでした。
翌年の2000年もケガ完治せず、稽古も不十分のまま、二子山親方の『もう一場所待て』との説得も振り切り3月場所に出場し、5日目に栃東戦で敗れて2勝3敗。
この相撲を最後に引退を発表。
29歳での引退でした。
花田虎上のアメフト選手時代
引退後、2000年12月18日に日本相撲協会を退職し、力士時代からの念願であったアメリカンフットボールに挑戦。
2001年にXリーグのオンワードスカイラークスに入部し、翌2002年にNFL入りを目指して渡米。
AFLのアリゾナ・ラトラーズのキャンプに参加しましたが、就労ビザが取得できず帰国。
その後は、タレント・スポーツキャスターとして活動し、2002年からは飲食店を経営するなど実業家としても活動しました。
花田虎上は兄弟仲が悪い?
兄弟で横綱になり『若貴フィーバー』といわれるブームになりましたが、2人が現役時代から不仲説がささやかれ、花田虎上さんの横綱昇進後の1998年9月場所前に弟の貴乃花さんがスポーツ誌に
『若乃花の相撲には基本がない』
『もう話す必要はない』
と言い放ち、不仲、確執が表面化、ワイドショーでも大きく取り上げられました。
2005年に父親が亡くなると、どちらが喪主を務めるかを巡り、再び兄弟は激しく対立。
喪主は最終的に長男である花田虎上さんが務めましたが、弟の貴乃花さんは、
『長男の花田勝氏(※当時の表記)がどうしてもやらせてほしいと言うことなので…。部屋の経緯、相撲界のことを考えても、私がやるのが当然であったかもしれないが』
と不満を隠しませんでした。
確執の原因については語られてはおらず。2018年に花田虎上さんがジテレビ系『ダウンタウンなう』に出演した際に、確執の原因について聞かれ、
『一つや二つではない』
とだけ答えました。
弟との関係については、
『連絡はしていない。連絡先も知らない』
と絶縁状態であると説明しました。
花田虎上の結婚歴や妻は?
花田虎上さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1994年6月、23歳の時でした。
妻は元客室乗務員の栗尾美恵子さん。
1969年3月14日生まれで、年齢は2歳年上。
美恵子さんは成城学園中学校在籍時よりファッション雑誌『Olive』の読者モデルとして活動した後、オリーブ初の専属モデルとして活躍。
成城大学在学中、オリーブ専属から外れ『an・an』などのファッション雑誌に掲載。
大学卒業後の1991年に日本航空に入社、客室乗務員として勤務しました。
結婚の馴れ初めは合コンだったそうです。
離婚したのは結婚13年目の2007年10月でした。
2002年から別居し、5年間の別居生活を経ての離婚でした。
離婚後、美恵子さんは2009年からハワイに移住し、2018年12月に13歳年下の会社経営者との再婚をを発表しました。
花田虎上の再婚した妻は?
花田虎上さんが再婚したのは、離婚の翌年の2008年12月、37歳の時でした。
再婚相手は- 大阪府出身で9歳年下の元幼稚園教諭の倉実(くみ)さん。
『お友達が私のことを花田のタイプだと思って、お食事会に連れて行ってくれたんです。』
馴れ初めは食事会でした。
花田虎上さんは一目惚れし、帰る時には、
『あぁ、また自分は結婚するんだな』
と思ったといいます。
2人でイタリアンレストランへ行き、最後にでてきたブルーチーズのデザートが2人とも好みではなく、おいしいと思うものも一緒で、そこから親密度が加速したといいます。
『花田は私の「守ってあげるから」という言葉を聞いて、「結婚しよう」って思ったみたいで(笑)。』
当時、花田虎上さんは離婚直後で家族や、子供たちのことなどいろんなことを1人で抱えていて、そんな姿を見た倉実さんは力になりたいと思ったそうです。
交際期間10ヶ月のスピード婚でした。
花田虎上の子供は何人?
花田虎上さんに子供は息子が1人と娘が5人の6人です。
最初の妻の美恵子さんとの子供が4人で、1995年に長男、1996年に長女、1998年に次女、2001年に三女が誕生。
再婚した倉実さんとの間に、2010年に四女、2014年に五女が誕生しました。
花田虎上の仕事や収入源は?
花田虎上さんは力士引退後、タレントとし活動しながら、2002年にドリームアーク社を設立し『Chanko Dining 若』、『うどんダイニング若』、『&kitchen』、『nii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)』などの飲食店を全国に店舗展開し、最盛期には国内38店舗、韓国1店舗の計39店に拡大しましたが、2008年11月に花田虎上さんは保有していた株式を経営陣に売却し、代表取締役会長を退任して経営から退きました。
その後、ドリームアーク社は経営悪化し、2010年5月6日に東京地裁に自己破産を申請をしています。
2012年からは個室居酒屋業界大手のアンドモワ株式会社で『若の台所』、『赤鶏御殿』、ラーメン屋『若のらーめん』をプロデュースしていましたが、全店閉店。
その後、アンドモワは2022年3月、東京地裁に自己破産を申請しています。
花田虎上さんは2011年に富津市に自宅を購入し移住。
飲食業から撤退した後は、タレント業や講演活動で収入を得ているようです。
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