大久保嘉人の結婚歴や妻は?子供は何人?年俸推移や高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

NO IMAGE

福岡県出身の元プロサッカー選手・大久保嘉人さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

サッカー選手時代の年俸推移は?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は元プロサッカー選手の大久保嘉人さんについてリサーチしてみました。

大久保嘉人の学歴・生い立ち・経歴

名前   大久保嘉人
生年月日 1982年6月9日
出身   福岡県
身長   170cm
血液型  A型
所属   エンジン

 

大久保嘉人の学歴

小学校・苅田町立南原小学校

中学校・国見町立国見中学校

高校・・国見高校

大学・・大学になしんがくしていません

福岡県京都郡苅田町出身。

父親はトラック運転手。

姉、妹がいる3人兄弟。

小学校は苅田町立南原小学校を卒業。

幼少期は父親が購入したペレやディエゴ・マラドーナのビデオを繰り返し見て育ち、小学校1年生の時に、苅田サッカースポーツ少年団でサッカーを始めました。

試合に出られるようになったのは、小学3年生からだったといいます。

当初はストッパーのポジションでプレーしていましたが、6年生の時にファワードのポジションに転向。

1994年にはU-12福岡県選抜チームに選出されました。

長崎県の国見高校が全国大会で活躍するのをみて憧れ、中学は親元を離れて国見町立国見中学校に入学。

中学時代は、国見高校のサッカー部総監督であった小嶺忠敏監督が中高一貫でサッカーの指導をするために作った『小嶺アカデミースクール』に入っています。

国見中学校では2、3年とも全国大会ベスト8に入り、U-15長崎県選抜チームに選出されました。

高校は国見高校に進学。

国見高校は、長崎県雲仙市国見町多比良甲にある男女共学の県立高校。

現在の偏差値は41。

国見高校時代は、国見史上最弱の代と言われ、小嶺監督からは

『お前らに何も期待していない』

と言われていたそうです。

それが悔しくてみんな死ぬ気で練習し、2年生でレギュラーを獲得。

2000年の3年生の時には、インターハイ、国体、選手権を優勝し、高校三冠を達成しました。

天皇杯全日本サッカー選手権大会には、長崎県代表とし2年生、3年生の時に出場。

3年生の時には、U-19日本代表に選出されてAFCユース選手権2000にも出場しました。

大久保嘉人 セレッソ大阪に入団

高校卒業後は、2001年にセレッソ大阪に入団。

複数のクラブに誘われましたが、セレッソ大阪を選んだ理由について、

『九州から出てみたかったというのもある。でも、一番はトップチームに森島さんがいたことですね。背丈も同じぐらいだし、めちゃ上手いのでプレーを盗みたいなって思いました』

と森島寛晃選手が在籍していたことを理由にあげています。

1t第5節磐田戦でリーグ戦初得点を挙げましたが、その後、左三角靱帯損傷。

リーグ戦も大半が途中出場で通年2得点に留まりました。

2002年にはキング2位の18得点を記録。

アテネオリンピックに向けた日本代表に選出され、2004年のアテネオリンピックでは1勝2敗でグループステージ敗退となったものの、個人としては3試合に先発出場し、2得点を挙げました。

大久保嘉人 RCDマヨルカに期限付き移籍

オリンピックで活躍がきっかけとなり、2004年11月にリーガ・エスパニョーラ所属のRCDマヨルカへ期限付き移籍。

デビュー戦は1得点1アシストの好デビューを飾りましたが、そのデビュー戦で負傷した影響で戦線離脱。

復帰後も出場機会は限られましたが、残留争いが佳境となった終盤戦の第36節、第37節で1得点ずつ挙げ、2アシストとPK獲得の活躍もあり、マヨルカの奇跡的とも言える1部残留に貢献。

シーズン終了後には、UEFA選出スペインリーグ・若手ベストイレブンを受賞しました。

マヨルカからの評価は高く、2005-06シーズンもクラブに残留。

しかし、シーズン途中に監督に就任したグレゴリオ・マンサーノ体制下で、出場機会減に危機感を抱き移籍を決意しました。

スペインでの通算成績は39試合5得点6アシストでした。

大久保嘉人 日本に復帰後

2006年6月、セレッソ大阪へ復帰。

登録直後から出場を続けたものの6戦無得点。

チームは最終順位は17位となり、J2へ降格。

2007年1月、ヴィッセル神戸からのオファーが報じられ、完全移籍。

リーグ戦では14得点をあげました。

2009年1月にブンデスリーガ・VfLヴォルフスブルク監督のフェリックス・マガトの強い希望により、同チームに移籍。

クラブ史上初となるドイツ国内主要サッカー大会初優勝達成を経験しましたが、自身を評価するマガト監督の退任もあり、1シーズンでの移籍を決断し、2009年6月、ヴィッセル神戸へ復帰。

2013年には川崎フロンターレに移籍。

同年から3年連続で得点王を獲得。

3年連続J1得点王は史上初でした。

2017年にFC東京に移籍。

2018年に川崎フロンターレに復帰。

同年6月にジュビロ磐田に移籍。

2020年、J2の東京ヴェルディへ完全移籍。

2021年、15年ぶりにセレッソ大阪への復帰。

同年に39歳で引退いしました。

J1通算191ゴール、イエローカードもJ1歴代最多104枚という記録も残していいます。

引退後はスポーツコメンテーターとしてのサッカー中継解説、スポーツニュース番組のメインキャスター、バラエティー番組のゲストなどで活動しています。

大久保嘉人 日本代表歴

オリンピック以後も継続的にフル代表に招集されていましたが、得点を挙げられないまま2005年10月のヨーロッパ遠征を最後に招集されなくなり、2006年のワールドカップ出場を逃しました。

2007年8月にはカメルーンとの国際親善試合で約1年10カ月ぶりに日本代表に復帰。

2010年のワールドカップを目指す日本代表の主力に定着。

2014年まで代表に選出。

日本代表として国際Aマッチ60試合に出場し、6得点をあげました。

大久保嘉人の年俸推移

2001年(セレッソ大阪)   400万円
2002年(セレッソ大阪)   1000万円
2003年(セレッソ大阪)   2000万円
2004年(セレッソ大阪)   3000万円
2005年(RCDマヨルカ)    4000万円
2006年(セレッソ大阪)   5000万円
2007年(ヴィッセル神戸)  6000万円
2008年(ヴィッセル神戸)  6000万円
2010年(ヴィッセル神戸)  8000万円
2011年(ヴィッセル神戸)  8000万円
2012年(ヴィッセル神戸)  7000万円
2013年(川崎フロンターレ) 7200万円
2014年(川崎フロンターレ) 9000万円
2015年(川崎フロンターレ) 1億万円
2016年(川崎フロンターレ) 1億万円
2017年(FC東京)     1億2000万円
2018年(川崎フロンターレ) 6000万円
2019年(ジュビロ磐田)   8000万円
2020年(東京ヴェルディ) 8000万円
2021年(セレッソ大阪)   2000万円

プレー期間は20年で、年俸総額は12億0600万円でした。

大久保嘉人の結婚歴や妻は?

大久保嘉人さんが結婚したのは2004年。

22歳の時の結婚でした。

妻は中学時代のサッカーコーチの娘の莉瑛さん。

中学時代は会ったことはなく、出会ったの高校3年生の卒業直前時だったそうです。

大久保嘉人の子供は何人?

大久保嘉人さんの子供は4人。

子供は4人とも息子です。

長男が2005年

次男が2010年

三男が2012年

四男が2017年

に誕生しています。

スポーツカテゴリの最新記事