アイドルグループおニャン子クラブの元メンバーで元女優の生稲晃子さん。
自宅は港区で豪邸だと言われています。
夫の職業は子供は?
議員になったのはなぜ?
この記事では生稲晃子さんの豪邸や夫、子供などについてリサーチしています。
生稲晃子の自宅が豪邸
生稲晃子さんの自宅は東京都港区にある、推定2億円と言われる豪邸です。
地下1階、地上3階のコンクリート打ちっぱなしの建物でだといいます。
2013年12月17日にのに放送された『今夜くらべてみました』(日本テレビ)では自宅が公開されガラス張りの天井や500万円のアイランドキッチンなどが話題になりました。
生稲晃子の夫の職業は?
生稲晃子さんが結婚したのは2003年、35歳の時。
夫はCM制作会社プロデューサーの佐山智洋さん。
1963年3月14日生まれで5歳年上。
1985年、大学卒業後、某俳優の付き人を経て、1988年にCM制作会社に就職。
CMプロデューサーして従事し、結婚後の2008年に独立し、映像製作会社「株式会社mahalo(マハロ)」を設立しました。
同社はCMなどの製作の他、港区六本木で鉄板焼き店の佐吉も経営しています。
生稲晃子の子供
生稲晃子さんの子供は娘が1人。
結婚3年目の2006年3月、38歳の時に誕生。
名前は遥香さん。
お腹の中で赤ちゃんの首にへその緒が巻き付いていることがわかったため、予定日より早く帝王切開で出産したそうです。
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2022年3月に自身のインスタで、「娘が16歳になりました」と顔出しで紹介しています。
生稲晃子の経歴
東京都世田谷区出身。
父親は会社員。8歳年上の姉と4歳年上の兄がいる3にんきょうだいの末っ子。
小学生の時には地元にサッカーチーム「小金井フットボールクラブ」チームに所属。
中学時代はバレーボール部に所属し、セッターとして活躍。
私立吉祥女子高校時代もバレーボール部に所属していました。
高校時代に芸能活動を開始。
高校は芸能活動は禁止でしたが、「トップの成績を維持すること」と「大学を受験する事」の2つを条件に芸能活動が特別に許されたといいます。
大学は恵泉女学園短期大学・英文科を卒業しました。
芸能界入りのきっかけ
1984年、16歳の時に優勝者に100万円、推薦者に50万円という賞金に惹かれ、兄を推薦者に惹かれ「第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に応募。
結果kは3次で不合格でしたが、ホリプロ系のモデル事務所にスカウトされました。
CMやカメラ雑誌で活動した後、1986年6月、『夕やけニャンニャン』(フジテレビ)の番組内オーディションを受けて合格し、おニャン子クラブの会員番号40番としてデビュー。
1987年には大学受験のため、『夕やけニャンニャン』にも約1ヶ月ほど出演せず受験勉強に専念。
恵泉女学園短期大学に合格後、活動を再開。、
同年に工藤静香さん、斉藤満喜子さんと共に、派生ユニット・うしろ髪ひかれ隊のメンバーに抜擢。
おニャン子クラブ解散後はソロ歌手っとして活動。
1990代以降は女優、タレントとして幅広く活動しました。
生稲晃子が議員になったのはなぜ?
生稲晃子さんは2011年4月、43歳の時に乳がんが発覚。
瘍のある部分を切除する乳房温存手術を受け、放射線照射と薬による治療を続けましたが、2012年に再発。
2度の再発と5回の手術を乗り越えました。
闘病の経験から2016年9月に、「働き方改革実現会議」の有識者委員に選出。
乳がん治療と仕事の両立策を提案しました。
このことがきっかけで世耕弘成参院幹事長から、出馬の打診を受けました。
2022年7月10日投票の第26回参議院議員選挙に東京選挙区から出馬し当選しました。
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