兵庫県出身の俳優・松尾貴史さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回はの松尾貴史さんをリサーチしてみました。
松尾貴史の学歴・生い立ち・経歴
名前 松尾貴史(まつお たかし)
生年月日 1960年5月11日
出身 兵庫県神戸市生田区(現・神戸市中央区)
身長 176cm
血液型 B型
所属 古館プロジェクト
小学校・神戸市立神戸小学校
中学校・西宮市立瓦木中学校
高校・・大阪商業高校
大学・・大阪芸術大学芸術学部
本名は岸 邦浩(きし くにひろ)。
父親は神戸でバーを経営し、母親は元北新地でホステスで専業主婦。
兄弟はなく一人っ子。
母親は読書家で、その影響で松尾貴史さんも読書が好きになったといいます。
小学校は神戸市立神戸小学校を卒業。
(現在は神戸市立こうべ小学校)
小学校2年生の時の通信簿には『直感的な判断力に長ける』と書かれましたが、3年生の時には『直感的な判断力に欠ける』と書いてあったそうです。
中学校は西宮市立瓦木中学校を卒業。
中学2年の時に西宮市へ引っ越しました。
中学時代から落語が好きで、落語番組をカセットテープに録音していました。
高校は大阪商業高校に進学。
大阪商業高校は、大阪府豊中市利倉東にある男女共学の私立高校。
1990年に大商学園高校に改称されています。
現在の偏差値は43~49。
高校時代は生徒会書記を務め、理不尽な校則を変える運動に参加していました。
大学は大阪芸術大学芸術学部デザイン学科に進学。
大阪府南河内郡河南町東山に本部がある私立大学で、デザイン学科の偏差値は50。
グラフィック・デザインを専攻しました。
大学卒業後は、都内のデザイン事務所に就職が決まっていましたが、恩師に誘われて同大学で、大学の非常勤副助手とし1年働きました。
松尾貴史がデビューしたきっかけは?
『僕がDJをやっていた時ではなくDJ ブースの外でお客さんとしゃべっていた時ですね、スカウトされたのは。しゃべりを聞いておもしろい奴だと思われたようで。』
引用 https://www.setagayamusic-pd.com/
松尾貴史さんは大学入学後、デザイン学科の仲間と話していたところ、おもしろいと言ってもらい、とライブの司会や舞台ナレーションをやらないかという話が来たそうです。
毎日がワクワクの連続で、まさに青春時代そのものだったといいます。
その後、親戚が北新地ででディスコ経営を始め、DJ見習いに誘われアルバイトを始めました。
ディスコに来ていた芸能プロダクションの人に、
『お前、おもろいから事務所に遊びに来いよ』
と言われ、自作しギャグパフォーマンスのテープを持参して行くと、すぐにネタを作って持ってきてほしいという話になり、これがデビューのきっかけになりました。
松尾貴史 デビュー後
芸能事務所にネタを持っていくと、NHK大阪放送局で作家の藤本義一さんが『ピー文化について』というテーマで話しをする時に、藤本義一さんのモノマネをして欲しいとの依頼を受け、テレビ初出演。
当時の芸名は『キッチュ(Kitsch)』。
『キッチュ(Kitsch)』はドイツ語の美術用語で、『まがいもの・粗悪品・俗悪趣味』などの意味があるそうです。
番組では松尾貴史さんは陰に隠れて、声だけが流され、それを聞いた藤本儀一さんギョッとしていたといいます。
24歳の時上京し、中学時代の友達の家に転がり込み、その後、3匹の猫の世話をすることを条件に放送作家先生の桜新町の家に半年くらい居候。
それがきっかけで1985年10月からTBS系の『アッコにおまかせ!』の初代司会者に抜擢。
25歳の時でした。
劇作家の中島らもさんと知り合い、1986年、中島らもさん主宰の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の旗揚げに参加し、約4年間在籍。
1989年、29歳の時のフジテレビ系『笑っていいとも!』の火曜日コーナー司会者し抜擢されました。
以降はタレント、俳優として活躍。
2019年には、2018年に上演された二兎舎公演『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』での演技で、読売演劇大賞優秀男優賞を受賞しています。
松尾貴史の結婚歴や妻は?
松尾貴史さんが結婚や夫婦関係について、あまり語ってはいませんが、2019年に情報番組に出演した際に、
『バツイチです』
と離婚経験があることを明かしています。
結婚したのは1994年頃で、34歳の頃のようです。
妻は一般女性で、とても口が立ち、口喧嘩に勝ったことがないと話していたようです。
再婚もしているようですが、時期や相手は不明でした。
松尾貴史の子供は何人?
松尾貴史さんの子供は4人のようです。
2019年に情報番組に出演した際に、
『お子さんが4人もいらっしゃるんですか?』
との問いに、
『通算ですけどね』
と認めてます。
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