なべおさみの結婚歴や妻、子供は?芸能界入りしたきっかけや学歴・経歴

『ルックルックこんにちは』の人気コーナー「ドキュメント女ののど自慢」の司会も務めたことで知られるタレントのなべおさみさんの学歴や経歴は?
芸能界入りしたきっかけは?結婚歴や妻、子供は?

今回はタレントのなべおさみさんをリサーチしてみました。

なべおさみの学歴・経歴

名前   なべおさみ
生年月日 1939年5月2日
出身   東京府東京市大森区(現・東京都大田区)
身長   161cm
血液型  B型
所属   吉本興業

父親、母親、姉、兄、2人の妹の7人家族。
実家は伯父が創業した煙突工場を経営。工場は本社の大田区の他、新潟にもありました。

4歳の時に茨城県東茨城郡鯉淵村(現在の水戸市)に疎開。
5歳にの時に終戦を迎え、鯉淵国民学校に入学。小学校5年生の時に東京に戻り、大田区立六郷小学校に転校して卒業しました。

中学校は大田区立大森第八中学校を卒業し、高校は大森高校に進学。
東京都大田区西蒲田にある男女共学の都立高校で、現在の偏差値は41。
卒業生はタレントの毒蝮三太夫さんなどがいます。

高校時代はラグビー部に所属。また不良でしたが、街で伝説のヤクザと呼ばれた花形敬さんと出会い、

「不良は向いてないから大学へ行け!」

と言われたことで、勉強を始め高校卒業後は明治大学・文学部に進学。
大学在学中に芸能活動を始め、1962年に大学を卒業しました。

なべおさみが芸能界入りしたきっかけ

大学では子供の頃に憧れていた芸能界を目指そう演劇を専攻。
入学して間もなく放送作家で演出家ほ三木鶏郎さんを訪ね「コメディアンにしてください」と頼みまししたが、「うちじゃもうコメディアンを育てていない」と断られましたが、

「僕がお題をやるから、コントを書いてみないか。書いたら持ってきなさい」

とお題と原稿用紙を渡され、書いて持っていくと放送作家として師事することになったといいます。
約半年間、書き方の指導を受け、大学在学中に放送作家としてデビュー。
仕事が軌道に乗りつつあった頃、歌手の水原弘さんに誘われ、付き人として「渡辺プロダクション」に所属しました。

シャボン玉ホリデーで一躍人気に

渡辺プロに所属後、俳優の勝新太郎さんの家に住み込んでの修業を経験。
水原さんが渡辺プロを退社した後にはハナ肇さんの付き人となりました。
大学在学中からラジオのデスクジョッキー、ジャズ喫茶の司会などを務め、1962年に大学を卒業。

1964年に日本テレビのバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』で本格的にテレビデビューすると、架空の映画会社「キントト映画社」が舞台のコント「キントトコント」の映画監督役が当たり役となりブレイク。一躍スターダムにのし上がりました。

同年に「いいかげん馬鹿」で映画デビューするとその後は、クレージーキャッツが出演する「クレージー映画」でも活躍。
1968年には『温泉ゲリラ 大笑撃』では主演に抜擢され、同年の山田洋次監督映画『吹けば飛ぶよな男だが』でも主演を務めました。

ルックルックこんにちはの「女ののど自慢」の司会

1974年に社長の渡辺晋さんと対立したことで「渡辺」プロ」を退社。
俳優の森繁久彌さんの付き人を経て、1978年からは日本テレビのワイドショー『ルックルックこんにちは』に出演。
番組では水曜日の『ドキュメント・女ののど自慢』の司会を担当。番組随一の名物コーナーに育て上げ、一躍人気を博しました。

明大替え玉受験事件後

1991年に当時はまだ一般人だった息子(現・なべやかん)の替え玉受験が発覚。

発覚当初、なべさんは会見で

「楽屋を訪ねて来た見知らぬ紳士から話を持ちかけられ、特別な推薦枠が有ると言われた」

と話していましたが、あまりにも不自然だったことからマスコミか集中砲火を浴び、最終的には再度会見を開き

「初対面の紳士」というのは作り話で、「私にとって大事な友人」で名前を言うことができなかった」
「ぼくのために善意で動いてくれたんだと思います」

と謝罪しました。

事件の発覚後、息子は大学を辞め、なべさんと仲の良かったビートたけしさん頼り、たけし軍団入り。「なべやかん」の芸名でタレントになりました。

なべさんは事件後、『ルックルックこんにちは』など全ての番組を降板し、芸能活動を自粛。

1994年12月に本格的に芸能活動を再開。
吉本興業に所属して、ルミネtheよしもとの新喜劇などに出演した後、2010年からはオスカープロモーションに所属。
お笑い部門の司会などを担当し、2019年から再び吉本興業に所属。
2020年2月から「なべおさみチャンネル」を開設し、ユーチューバーとしても活動しています。

なべおさみの結婚歴や妻、子供

なべおさみさんの結婚歴は1度。

結婚したのは1967年2月、27歳の時でした。
妻は1歳年下で、女優だった笹るみ子さん。

笹さんは16歳の時にスカウトされ東宝に入社。映画を中心に活躍しました。
なべさんの一目惚れから交際に発展し、1964年から同棲生活を開始。
交際当初はなべさんは売れる前で給料は3万円、笹さんは映画1本でギャラは30万円だったといいます。

結婚を決めた時には『シャボン玉ホリデー』で人気を獲得した後でしたが、1968年の映画『吹けば飛ぶよな男だが』の主演は所属事務所の社長からの結婚プレゼントだったそうです。

子供は娘と息子の2人で、娘は一般人ですが、息子はタレントのなべやかんさん。

長年連れ添いましたが、笹さんは2016年10月17日に「肺炎」のため76歳で他界し死別しています。

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