ベテラン女優の丘みつ子さん
旦那は元パイロットだとの話がありますが、子供はいるのでしょうか?
小田原の家に住んでいてその家が古民家との噂があります。
現在の活動は?
学歴は経歴は?
気になったので、丘みつ子さんについて調べてみました。
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丘みつ子の旦那は元パイロットで子供は?
丘みつ子さん1981年、33歳でジェット機のパイロットだった森田演(もりた・ひろし)さんと結婚。
当時は芸能ゴシップが重大ニュースみたいに扱われてたころで、丘みつ子さんと交際中だった、森田演さんのところにメディアの人間が来て、
「丘みつ子のゴシップを1週間のシリーズで載せる。250万円出すなら数日猶予してもいいが、どうだ」
と言ってきたんだとか。
記事にはなったそうですが、3日で連載は終わり相手も諦めたそうです。
結婚後、森田演さんに昔のパイロット仲間から、アメリカでチャーター機の会社をやらないかとの誘いが。
当時から、日本と違い国土の広いアメリカではチャーター機の需要がかなりあったことから、アメリカで飛行機のチャーター便の会社を立ち上げることを決意し、単身赴任。
丘みつ子さんも女優業で忙しかったことから、気持ちよく送り出したそうです。
それでも、最初の頃は丘みつ子さもアメリカに何度もいて森田演さん達の世話をしていたと話してます。
チャーター機は、
「ニュースキャスターが取材のために今から飛ばしてくれ」
などいつどこに飛ぶかわからない仕事。
常に夏物と冬物と、スーツケースを2セット用意、以前大きな会社の社長、重役が乗った飛行機墜落事故があり、1人1機に別れて乗るようになり、需要も増えて仕事も多かったようです。
2003年までは日本とアメリカで別居生活が続いたそうです。
丘みつ子さんに子供はいないようです。
丘みつ子の小田原の家は古民家?
丘みつ子さんは1989年に箱根に移住しました。
そこに約30年生活した後に小田原に移住しました。
丘みつ子さんが箱根に移住したのは、1980年、32歳の頃に、友人に誘われて始めた陶芸がきっかけ。
丘みつ子さんは、土と向き合っていると仕事を忘れられ、本当自分を取り戻せたように感じ、陶芸に魅せられていきました。
丘みつ子さんは自分の釜で焼きたくなり、箱根に別荘を購入。
始めは休日に箱根で陶芸をしていていましたが、その後、40代半ばには箱根に引っ越しました。
東京生まれ東京育ちだった丘みつ子さんも、時が立つにつれ生活になれ、野菜の栽培はもちろん、本格的に養蜂をするなど、自給自足の生活になっていきました。
箱根の家は900坪を超える豪邸でしたが、年齢と共に管理が難しくなり、2017年に小田原に「終の棲家」として築80年の古民家を購入。
58坪で2階建ての蔵付き3LDKで3000万円。
リフォームするつもりで購入しました。
リフォームは業者に頼むと2300万円以上かかるところ800万円で完成させる計画。
ところが、壁を壊したところシロアリだらけでボロボロ、柱はスカスカ、土台も腐っていて、強い地震で倒壊する危険があることが判明し、この時はリフォームを断念しました。
しかし、1年後の2018年6月に再びリフォームを開始。
ジャッキで家全体を持ち上げ土台などを新しいものに入れ替えることでリフォームを成功させました。
2階建ての蔵は、陶芸家でもある丘みつ子さんの芸作品を展示するギャラリーに生まれ変わりました。
2019年1月に完成。
費用は総額600万で済んだそうです。
丘みつ子の現在の活動は?
丘みつ子さんは現在、女優と陶芸家として活動しています。
女優の仕事は年に1本~2本程度。
たまにクイズ番組やバラエティにも出演しています。
2020年現在はテレビ朝日系の「やすらぎの刻~道」に出演しています。
陶芸ではイベントなどをしているようです。
丘みつ子さんは陶芸、マラソン、書道、謡(うたい)と多趣味なので仕事も自分のペースでゆっくり生活していくようです。
ちなみに、謡(うたい)とは能楽に合わせてうたうことだそうです。
丘みつ子 学歴・経歴
名前 丘みつ子
生年月日 1948年1月19日
身長 166cm
出身 東京都北区王子
所属 ホリプロ
丘みつ子さんは東京都生まれ。
父親は官僚。
母親は独身時代は銀座のデパートに勤めていて、洋裁が得意。
両親ともおしゃれが好きだったそうです。
洋裁が得意な母親に幼い頃から習い、就学前からミシンを踏んでいたそうで、生地選びから、デザイン増せ自分で考え、将来の夢はスタイリストだったそうです。
高校は北豊島高等学校を卒業。
北豊島高校は東京都荒川区にある私立の女子高です。
設立は1926年と歴史ある学校です。
通信制もあり、通信制でタレントの平愛梨さんやお笑いトリオのパンサーの菅良太郎さんも卒業生です。
高校卒業後は大蔵省印刷局に勤務。
19歳の時、三浦海岸で開催された、
「ミス人魚コンテスト」
に友人に勧められて応募し優勝。
それがきっかけでモデルとしてデビュー。
約2年間モデルとして活動した後、
1968年、20歳の時、映画製作・配給会社の日活に入社し女優に転身。
同年に公開された映画「ある少女の告白 禁断の果実」で主演女優デビュー。
《1968》…丘みつ子…沖雅也 pic.twitter.com/bRbqCffM4f
— BON (@1632bdkrst) April 2, 2018
その後、1年間に10本以上の映画に出演するなど、仕事は多忙だったそうです。
1970年、TBS系の昼ドラ「オランダおいね」で主演を務めドラマ初出演。
丘みつ子さんは女優デビュー以降、10年間は仕事漬けの毎日を送っており、一時はストレスから拒食症になってしまったこともあったんだとか。
1980年代からは母親役を多く演じ、
「日本のお母さん」
と評され活躍。
2時間ドラマにも多く出演し
「2時間ドラマの女王」
とも呼ばれました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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