東京都出身の俳優・伊東四朗さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚しているようですが妻は?
子供は息子と娘?
今回は俳優の伊東四朗さんをリサーチしてみました。
伊東四朗の学歴・生い立ち・経歴
名前 伊東四朗
生年月日 1937年6月15日
出身 東京都
身長 166cm
所属 オルテ企画
中学校・国立市立国立第一中学校
高校・市ヶ谷商業高校
大学・大学には進学していません
東京都台東区出身。
本名は伊藤輝男(いとう てるお)
兄2人、姉1人、妹1人の5人兄弟の3番目。
父親は洋服の仕立て業で、夫婦で仕事をしていましたが、働きたくなければ働かないような人で家賃が払えず、夜逃げを繰り返していたといいます。
小学生の時には母親の実家がある静岡県掛川市に疎開。
小学3年生の時にトロッコ事故で顔に怪我をして頬に目立つ傷が残ったそうです。
終戦後、両親は掛川に残りましたが伊東四朗さんは東京に戻っていた兄と姉を頼って帰京。
兄と姉と3人で暮らしました。
掛川の中学校に通っていましたが、国立市立国立第一中学校に転校して中学を卒業。
中学時代には英語部に所属。
文化祭では英語劇『さるかに合戦』をやって大ウケしたそうです。
高校は市ヶ谷商業高校に進学。
市ヶ谷商業高校は東京都新宿区矢来町にあった男女共学の都立高校。
2009年3月に赤坂高校と統合され大田桜台高校になり閉校。
大田桜台高校の偏差値は42。
高校時代はバレーボール部に所属。
白米が大好きで、高校時代に米を4合炊いて味噌汁を作って家族を待っていましたが帰ってこないので先に食べ始めたら止まらなくなり、味噌汁だけでいつの間にか4合全部食べていたそうです。
就職試験に小学生の時の事故で残った頬の傷のために人相が悪いとことごとく落ちて、高校卒業後はアルバイト生活をしていました。
伊東四朗が俳優になったきっかけ
高校時代に就職に失敗しアルバイト生活をしていた時、通っていたのが歌舞伎とストリップ劇場の新宿フランス座。
ストリップといっても目当ては合間の軽演劇でした。
何度も通っているうちに顔を覚えられて楽屋に呼ばれるようになり、フランス座の座付き俳優だった石井均さんが劇団『笑う仲間』を旗揚げし、その団員に誘われて入団。
21歳の時でした。
伊東四朗 てんぷくトリオ 電線マン
劇団『笑う仲間』は一人の共同主宰者と石井均さんとの仲違いからなくなり、『石井均一座』として再出発。
『石井均一座』は、浅草の松竹演芸場や新宿の新宿松竹文化演芸場を拠点に人気劇団ととなりました。
1962年、25歳の時に三波伸介さん、戸塚睦夫さんと『てんぷくトリオ』を結成し、テレビや一般の舞台へと進出。
コントなどで舞台やテレビで徐々に人気となり、三波伸介さんののギャグ『びっくりしたなぁ、もぅ』が大当たりして人気お笑いグループとしての地位を確立。
1973年に戸塚睦夫が42歳の若さで死去。
その後三波伸介さんと2人で『てんぷく集団』として活動しましたが、次第にそれぞれの個人活動へシフトました。
1976年10月から放送されたテレビ朝日系のバラエティ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ』で小松政夫さんとの親子コントや『電線音頭』で人気になり、伊東四朗さんの『ニン』や『ずん』のギャグも有名になりました。
伊東四朗 おしんで俳優として人気に
1983年4月から放送されたNHKの朝ドラ『おしん』で父親役に抜擢。
『おしん』は平均視聴率は52.6%、最高視聴率62.9%を記録。
俳優としての認知度が大幅に上昇しました。
1992年から2015年までは『十津川警部シリーズ』で亀井定雄役を演じ、2時間ドラマでの主演も多く務めています。
伊東四朗の妻は?
伊東四朗さんが結婚したのは1966年頃のようです。
29歳の頃でした。
妻は一般女性。
『結婚して子どもが生まれたばかりで、アパートの6階で弾くと赤ん坊が泣くんです。』
引用 https://serai.jp/1
1966年4月から1968年10月まで放送されていた日本テレビの『九ちゃん!』にレギュラー出演していた時にプロデューサーに経験がないのにバイオリンを弾けと言われて、練習をしていた時の話しです。
結婚当初は六畳一間のアパート暮らしだったそうです。
伊東四朗の子供は息子と娘?
伊東四朗さんの子供について調べてみるといくつかの情報がありました。
息子が2人
息子が3人
息子3人と娘が1人
など。
ただ、最低でも子供は2人いるようです。
次男の伊東孝明さんは俳優として活動しています。
1971年5月4日生まれで、1992年4月から放送されたNHKのドラマ『おんなは度胸』の板前役で俳優デビュー。
現在もドラマを中心に活動しています。
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