宇梶剛士の嫁や子供は?母親はアイヌ民族?高校などの学歴や経歴

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宇梶剛士さんは東京都出身の俳優。

高校などの学歴や経歴は?

離婚歴があるようですが、嫁や子供は?

母親はアイヌ民族?

若い頃は暴走族でヤンチャだった?

今回は俳優の宇梶剛士さんをリサーチしてみました。

 

 

宇梶剛士の学歴・経歴

名前   宇梶剛士
生年月日 1962年8月15日
出身   東京都新宿区
身長   188cm
所属   オフィス33

宇梶剛士さんは東京都新宿区生まれ。

父親は会社員。

父親は月に数えるほどしか帰宅しないほど仕事が多忙で、単身赴任の時期も長かったそうです。

2人兄弟の弟で。2歳年上の姉います。

宇梶剛士さんはは5000グラムで生まれ、東京都から健康優良児の表彰を受けたそうです。

3歳から5歳までは東京都小平市、6歳からは広島県安芸郡府中町に転居。

小学校2年生から東京都国立市に転居しました。

小学校は広島県の府中町立府中小学校から国立市立第五小学校に転校。

中学校は国立市立国立第一中学校。

高校は拓殖大学第一高校を中退後、明大中野高校の定時制を卒業。

大学には進学していません。

子供の頃から体が大きくケンカも強かったそうで、小学6年生の時には、複数の中学生とケンカし全員返り討ちにしたそうです。

しかし、中学に入学するとケンカした相手に今度は袋叩きに目にあったといいます。

翌日、今度は3年生に呼び出され行ってみると、袋叩きにされた2年生が正座させられており、「多数対一人いかん」と怒られていんだとか。

両親とのすれ違いと反抗期から、中学1年生の冬に家を飛び出し、新聞配達等のアルバイトをしながら従兄弟の部屋を間借りして自活していたといいます。

一時期は高校には進学せず、就職すること考えたそうです。

小学生から野球チームに所属しており、東京・国立のリトルリーグやシニアリーグに入っていいました。

中学2年生から部活の軟式野球部も所属。

拓殖大学第一高校は東京都武蔵村山市にある男女共学に私立高校で偏差値は62。

「少年時代から続けていた野球のおかげで高校入学を果たし」

引用 http://vv.fm/

高校は野球推薦で進学しています。

高校時代も甲子園出場を夢見て野球部に所属し、体が大きかったこともあり、「将来の有望選手」としてプロ球団のスカウトが宇梶を見に何回か足を運びに来たほどの実力だったそうです。

しかし、野球部の先輩のシゴキやいじめはきつく、2年生に上がるとき同学年の部員と練習をボイコット。

宇梶剛士さんは目立ったせいか首謀者にさせられ、グランドにいても練習に参加させてもらえない日が続き、嫌気がさし、暴力事件を起こして少年鑑別所に入所。

退所後に高校は中退しました。

宇梶剛士は若い頃は暴走族

宇梶剛士さんは高校退学後、一時期は叔父のいた北海道などで働くも、更生できずに東京に戻り、暴走族・ブラックエンペラーに参加。

ブラックエンペラーは当時日本最大組織といわれ、構成員2000人もいたといいます。

暴走族での出世は早く、三多摩地区のヘッドから後に7代目名誉総長となり、暴走族の世界ではでは「伝説的存在だった」といわれています。

野球は二度と見たくないと思っていましたが、同期の引退試合だけは見ようと、特攻服でひとりで府中の球場に見に行ったそうです。

その後、暴走族同士の抗争で再び逮捕され少年院へ収容されました。

宇梶剛士 芸能界デビュー

宇梶剛士さんは少年院での生活において改心し更生。

「不良で天下を獲っても何も残らない、何も変わらない、将来が見えない」

と気付いたといいます。

俳優を志したきっかけは少年院の中で読んだ喜劇王「チャップリン自伝」。

自分の生き方がはずかしくなり、ちっぽけだと思い、ャップリンのような俳優になりたいと決意したといいます。

少年院を出た後、高校に再び入るために勉強し明治大学付属中野高等学校定時制に入学。

明大中野高校時代はバスケットボール部に入り、定時制大会で優勝しています。

その後、宇梶剛士さんは母親のツテで芸能事務所に入り、行儀見習を兼ねて歌手の錦野旦さんの付き人になりまりました。

の錦野旦さんの付き人をしていた18歳の時、事務所の使いで台本を取りに行った先で、菅原文太さんに呼び止められ何をしているのか聞かれ、

「俳優になりたいんですが、どうやったらなれるのかわからないので、錦野さんのところでお手伝いをしています」

と答えたところ、菅原文太さんはすぐに錦野旦さんの事務所に電話をかけ

「おたくのところのでかいの、もらっていいか」

と頼み菅原文太さんの付き人になり、以降は菅原文太さんを「親父」と呼び慕っていました。

菅原文太さんの付き人時代の20歳の頃、美輪明宏さんと出会い見出され、舞台「青森県のせむし男」で1983年に舞台デビューしました。

三輪明宏さんの翌年の舞台「双頭の鷲」にも起用され、その公演を見に来た渡辺えりさんを紹介され、演技を教わったといいます。

下積み時代を経て、1980年代後半から多数のトレンディドラマに脇役で出演するようになり、知名度は徐々に上昇。

下積み時代は工事現場でアルバイトをし、33歳の時に役者だけで食べていけるようになったといいます。

1997年の35歳で出演したフジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下」の前園俊雄・通称ピカリン役が大当たりしてブレイク。

2000年代になるとラエティ番組にも多数出演するようになりました。

2007年には「劇団劇団PATHOS PACK」を旗揚げしました。

宇梶剛士の母親はアイヌ民族

宇梶剛士さんの母親は絵本作家でアイヌの解放運動家でもある宇梶静江さん。

宇梶静江さんは北海道浦河郡浦河町に生まれ。

当時の北海道ではアイヌ民族に対する偏見や差別があり学校にもまとも行けず、中学に入学したのは20歳。

23歳で中学卒業後に上京。

上京後は、喫茶店のウエートレスをしながら、定時制高校に通っていたそうです。

一時期、

「もう、アイヌのことなんて忘れてしまおう」

と思っていたといい、差別のなかった夫と結婚し子供も生まれました。

平穏な暮らしの中で、「何かが違う」との違和感もあり、35歳で病気なったことがきっかけで朝日新聞に自身がアイヌであることを投稿。

1973年には「東京ウタリ会」を設立。

「ウタリ」とはアイヌの言葉で、同胞、仲間の意味だそうです。

「東京ウタリ会」を設立後、何度も都議会に出向くなどし、1975年、東京都で初のアイヌ実態調査が行われ、、職業安定所にアイヌのための職業相談員を置くことを認められました。

2004年、アイヌ文化奨励賞受賞。

現在は アイヌの伝統的な刺しゅうを古い布に施した「古布絵(こふえ)」作家のとしても活動しています。

宇梶剛士の離婚歴

宇梶剛士さんが最初に結婚したの1982年の20歳の時。

菅原文太さんの付き人をしていた頃で、まだ俳優では全然食べていけない頃の結婚でした。

離婚したのは22歳~23歳の頃のようです。

結婚生活は2年~3年ぐらいで長くはなかったようです。

宇梶剛士の嫁や子供は?

宇梶剛士さんが再婚したのは2000年頃。

再婚相手は一般女性。

宇梶剛士さんの子供は2人。

最初の結婚相手との間に長男の息子が生まれています。

生まれたのは1984年か1985年のようです。

再婚相手との間には2001年に娘が生まれています。

長男は結婚しており、2018年に孫が生まれたことを明かしています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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