東京都出身の女優・倍賞千恵子さん。
生い立ち経歴や高校などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は女優の倍賞千恵子さんをリサーチしてみました。
倍賞千恵子の学歴・生い立ち・経歴
名前 倍賞千恵子
生年月日 1941年6月29日
出身 東京都
身長 159cm
小学校・北区立滝野川第六小学校
中学校・北区立紅葉中学校
専門学校・松竹音楽舞踊学校
西巣鴨生まれ、東京都北区滝野川出身。
父親は都電の運転士。
母親は女性で初めて採用された都電の車掌。
3人姉妹の2番目で5歳年下の妹は女優の倍賞美津子さん。
戦争末期の4歳の頃には母親の実家がある茨城県の岩瀬に疎開。
田んぼではタニシ、川では川エビやシジミ、山ではきのこを捕っていたそうです。
小学4年生の頃に東京に戻り、小学校は北区立滝野川第六小学校、中学校は北区立紅葉中学校を卒業。
高校には進学せずに松竹音楽舞踊学校に入学しました。
倍賞千恵子が女優になったきっかけは?
倍賞千恵子さん幼少時から歌が上手で、疎開していた茨城県の小学校に放送室ができた時、マイクの前で最初に歌う役に多数決で指名されたといいます。
賞品の缶入りドロップほしさにのど自慢に何度も出場。
『のど自慢』荒らしとして知られ、この歌が女優へのきっかけとなりました。
小学生の時、NHKのど自慢で本選に進み、その時にみすず児童合唱団の人から声をかけられて入団。
1954年、中学生の時にポリドールより童謡『ひばりの赤ちゃん』で歌手デビューしました。
中学卒業後は高校には進学するつもりでしたが、両親に松竹歌劇団(SKD)の劇団員養成機関の松竹音楽舞踊学校を勧められ受験し合格。
松竹音楽舞踊学校に入学時の成績は5、6番でしたが、上級生が来る前の早い時間に登校し、ひたすら稽古を重ねて首席で卒業。
1960年に13期生とし松竹歌劇団(SKD)に入団。
同年に『東京踊り』で初舞台を踏みました。
倍賞千恵 映画、歌手で活躍
初舞台の翌年の1961年、新人女優を探していた松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団。
映画『斑女』で映画デビュー。
1963年4月公開の映画『下町の太陽』主演。
1962年10月には同映画の主題歌『下町の太陽』をリリースし歌手デビューしており、同年末には第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。
1963年末には『下町の太陽』で第14回NHK紅白歌合戦に出場。
紅白歌合戦には4年連続で出場してます。
1969年からは映画『男はつらいよ』で主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにしました。
1978年には映画『賞 男はつらいよ 寅次郎頑張れ! 』『男はつらいよ 寅次郎と殿様』で
第1回 日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
を受賞。
1981年には映画『遥かなる山の呼び声』『寅次郎ハイビスカスの花』で、
第4回 日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
を受賞しました。
倍賞千恵子の結婚歴や夫は?
倍賞千恵子さんの結婚歴はは2回。
最初の結婚は1976年3月。
36歳の時でした。
夫は俳優の小宮健五さん。
年齢は7歳年下。
1975年の舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』での共演がきっかけでした。
『周囲は最初から危惧した。小宮の年収は約80万円。片やウン千万円である。』
引用 https://www.nikkan-gendai.com/
離婚したのは1980年。
結婚生活は4年でした。
倍賞千恵子の再婚した夫や子供は?
倍賞千恵子さんが再婚したのは1993年2月。
51歳の時でした。
夫は作曲家の小六禮次郎さん。
年齢は8歳年下。
作曲、編曲分野の第一線で活動する人物で、映画、テレビ、ミュージカル、CM作品からオペラ、交響詩まで幅広いジャンルの作品を手がけています。
『つきあいだしたのは7年前。小六氏にも家族があったが、離婚が成立しゴールイン。』
引用 https://www.nikkan-gendai.com/
交際がスタートしたのは1986年頃で、2人と再婚のようです。
倍賞千恵子さんに子供はいないようです。
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