江波杏子の結婚歴や夫、子供は?女優にデビューしたきっかけ。死因や学歴・経歴

映画「女賭博師シリーズ」で人気となった女優の江波杏子さんの経歴や学歴は?
女優デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
死因や晩年は?

今回は女優の江波杏子さんをリサーチしてみました。

江波杏子の学歴・経歴

名前   江波杏子
生年月日 1942年10月15日
没年月日 2018年10月27日(76歳没)
出身   東京都渋谷区千駄ヶ谷
身長   161cm
血液型  A型
所属   アルファエージェンシー

父親、母親、2人の弟の5人家族。母親は戦前に東宝映画に所属していた女優の江波和子さん。
母親は礼儀作や家事に厳しく、3歳の頃から家事を仕込まれたといいます。
しかし、江波さんが5歳の時に、肺結核で27歳の若さで他界。
幼少期から読書が大好きで、母親が唯一の残した本をよく見て過ごしていたといいます。

父親は母親が亡くなった後には、2回再婚。3人の母親の元育ち、複雑な思いがあったそうです。

中学校は宝仙学園中学校、高校は宝仙学園高校に進学。
東京都中野区中央二丁目にある私立学校で、中学校の偏差値は52、高校の偏差値は45~64。
2007年までは女子校で、同年に「理数インター」という男女共学部が設置されています。
高校時代に女優デビューし、高校は2年生の時に退学しました。

江波杏子が女優デビューしたきっかけ

江波杏子さんが女優を目指したのは、母親が女優だったことと、小学5年生の時にキャロル・リード監督の『落ちた偶像』を観たのがきっかけでした。

中学時代に「母親の仕事を継ぎたい」との思いから本格的に女優を目指し始め、1959年、高校在学中の16歳の時に年齢を1歳偽り、映画会社「大映」のニューフェイスのオーディションを受け合格。
ニューフェイス13期生として大映に入社し、高校は中退しました。

映画「女の賭場」で一世を風靡

1960年、17歳の時に映画『明日から大人だ』でデビューしましたが、日本人離れした外見から若尾文子さんなどが演じるヒロインを引き立てる悪女などの数年助演が数年続きました。
1996年に映画『女の賭場』で主演予定だった若尾文子さんが自宅の風呂場で転倒したことに寄る怪我で降板し、代役の江波さんが抜擢。
同作はヒットし、以後、昇り竜のお銀を主人公とした「女賭博師シリーズ」が製作され、賽を振る際に放つセリフ、「入ります」で一世風靡し、1971年の『『新女賭博師 壷ぐれ肌』まで全17本が製作されました。
1973年には主演映画『津軽じょんがら節』で、

第47回キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞

を受賞。

1981年には『Gメン’75』(TBS)に津村冴子警部補 役で出演し人気を集め、ドラマにも多く起用されるようになり、その演技が『こまつ座』を主催する井上ひさしさんの目に留まり、舞台にも活動の場を広げ、以降は映画、ドラマ、舞台にコンスタントに出演しました。

江波杏子の結婚歴や夫、子供は?

江波杏子さんに結婚歴はなく、夫、子供はおらず生涯独身でした。

20代の頃には8歳年下の萩原健一さんと熱愛がありました。

『帰りのハイヤーで向こうから「私の電話番号は覚えやすいのよ」ときた。逆ナンパされたんだよ』

江波さんからのアプローチで交際にに発展し、当時、10代でした。

江波杏子の死因と晩年

江波さんは晩年もコンスタントに活動し、亡くなる5日前にもNHKのはNHKのラジオドラマの収録に参加していましたが、2018年10月26日に体調不調を訴え、都内の病院に緊急入院。

入院する時にはマネージャーに

『苦しくて息ができない』

と訴えながらも、入院の準備を頼み、

『赤い洋服、入れておいてね。メイク道具は絶対忘れないで』

と伝えていたといいます。
しかし、入院後は回復することはなく、翌日の10月27日に肺気腫の急性増悪のため76歳で亡くなりました。

遺作は映画が2018年4月6日公開の『娼年』。ドラマでは2019年1月11日から3月1日に放送されたNHK BSプレミアム『小吉の女房』。
亡くなる5日前に収録したNHK-FM放送のラジオドラマ『FMシアター 罵詈雑言忠臣蔵』は2018年12月8日に放送されました。

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