東京都出身の歌手・伊藤咲子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューのきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は歌手の伊藤咲子さんをリサーチしてみました。
伊藤咲子の学歴・生い立ち・経歴
名前 伊藤咲子
生年月日 1958年4月2日
出身 東京都目黒区
血液型 A型
所属 ミュージック・オフィス合田
中学校・目黒区立第四中学校
高校・・堀越高校
大学・・大学進学していません
父方、母方の祖父母は山形県出身で、山形を離れていましたが、戦時中、疎開した際に両親は出会い結婚。
兄弟は10歳年上の姉と9歳年上の姉で、2人とも山形県で生まれています。
その後、家族で東京に移り、伊藤咲子さんは東京で誕生しました。
中学校は目黒区立第四中学校を卒業。
15歳で芸能活動を始め、高校は堀越高校・芸能コースをを卒業。
堀越高校は、東京都中野区中央にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は42。
高校の同級生には、池上季実子さんや岩崎宏美さんがいました。
2人とはそれからずっと友人関係が続いているそうです。
芸能コースの歌手のスケジュールはたいてい一緒で、下校時にそれぞれのマネージャーの車に乗り別れ、当時は歌番組がたくさんあり、歌番組でまた顔を合わせていたそうです。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
伊藤咲子のデビューのきっかけは?
伊藤咲子さんのデビューのきっかけはで日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』でした。
幼少期から実家ではクラシック音楽が流れていたといい、伊藤咲子さんは幼稚園の時には教会の聖歌隊で歌っていて歌が上手でした。
中学の時にはトイレに友達を集めて、ミニコンサートを開いていたといいいます。
中学2年生の時に『スター誕生』の放送が開始され、同い年の森昌子さんが13歳でグランドチャンピオンになり、『せんせい』で歌手デビュー。
歌手になれるとは思っていませんでしたが、漠然と歌手になりたいという思いはあり、友人の勧めで『スター誕生』への出場を決意。
声が良く反響する学校のトイレで歌の練習をして、1973年の15歳の時に出場し、小柳ルミ子の『漁火恋歌』を歌い本戦出場の10人に選ばれましたが、本戦では落選。
落ち込むことはなく、いい思い出になったと思っていましたが、プロデューサーが伊藤咲子さんを含む5人に次の日曜日にまた予選に来るようにと言われ、反対する両親を説得して再挑戦し、今度は優勝してデビューが決定しました。
伊藤咲子 デビュー後
伊藤咲子さんは1974年4月20日に『ひまわり娘』で歌手デビュー。
16歳の時でした。
日本歌謡大賞新人賞などを受賞。
1974年12月1日にリリースした3作目のシングル『木枯しの二人』がオリコンチャート3位にランクインし、自身最大のヒット曲となりました。
1976年3月5日の7作目のシングル『きみ可愛いね』もオリコンチャート9位のなり、同年末の第27回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
伊藤咲子の結婚歴や夫は?
伊藤咲子さんが結婚したのは1989年。
30歳の時でした。
夫は実業家の男性。
年齢は11歳年上で、ゴルフコンペで知り合ったといいます。
結婚後は歌手活動を休止し、専業主婦になりました。
その後、夫の提案でクラブを経営。
恵比寿や六本木でクラブのママとして店を経営しましたが、2003年に歌手活動を再開。
2004年に離婚しました。
伊藤咲子の再婚した夫は?
伊藤咲子さんが再婚したのは2010年。
51歳の時でした。
夫は会社員で年齢は結婚時40代後半。
再婚の2年前の2008年頃に知人の紹介で知り合ったそうです。
伊藤咲子の子供は何人?
伊藤咲子さんの子供は、再婚した夫の連れ子の娘が2人。
伊藤咲子さん自身の子供はいません。
最初の結婚後、下腹部に痛みを覚えるようになり、子宮筋腫と診断。
子宮内膜症との合併症で激痛だったそうで、医師には摘出手術を勧められましたが、当初は子供を産みたいと願い、手術はせずに痛み止めを飲んで過ごしました。
しかし、子宮筋腫は他の臓器を圧迫するほど大きくなり、急性腎盂(じんう)炎も発症。
命の危険もあったため、2000年、42歳で手術を決断しました。
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