新沼謙治の結婚歴や妻は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

岩手県出身の演歌歌手・新沼謙治さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

演歌歌手になったきっかけは?

結婚歴や妻は?

子供はいる?

今回は演歌歌手の新沼謙治さんについてリサーチしてみました。

新沼謙治の学歴・生い立ち・経歴

名前   新沼謙治
生年月日 1956年2月27日
出身   岩手県
身長   170cm
血液型  A型
所属   ノーリーズン

 

新沼謙治の学歴

小学校・大船渡市立猪川小学校

中学校・大船渡市立第一中学校を

高校・・高校には進学していません

大学・・大学には進学していません

岩手県大船渡市出身。

父親はセメント会社に勤務。

母親は工場でパート。

兄弟は姉2人と妹1人。

小学校は大船渡市立猪川小学校、中学校は大船渡市立第一中学校をを卒業。

中学卒業後は、高校には進学せずに地元の合板会社に就職。

初任給は8800円だったといいます。

その頃は、勤労青少年ホームに通い、バドミントンやギター、ドラムにハマっていたそうです。

その後、出稼ぎに出ていた叔父を頼って、栃木県宇都宮市で左官職人として働きました。

新沼謙治が演歌歌手になったきっかけは?

新沼謙治さんの歌手デビューのきっかけは日本テレビで放送されたいたオーディション番組『スター誕生』。

宇都宮市で左官職人として働いていた時に、花見を兼ねたカラオケ大会で優勝。

当時の人気番組だった『スター誕生』の出演を勧められて、19歳の時に出場しましたが、2次予選で落選。

その後も挑戦しましたが、4回連続で2次予選で終わりました。

5回目の出場で初めて予選を突破し、念願の決勝大会に出場。

決勝大会では、五木ひろしさんの『哀恋記』を歌い合格。

オファーしたプロダクションは男性史上最多の17社でした。

新沼謙治 『嫁にこないか』がヒットし嫁候補が殺到

1976年2月1日に『おもいで岬』で演歌歌手デビュー。

19歳の時でした。

同年6月にリリースした2枚目のシングル『嫁に来なか』がヒットし、同年に

第18回日本レコード大賞・新人賞

第7回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞

を受賞。

第27回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしました。

『嫁に来ないか』がヒットすると、ファンが履歴書を持って、岩手の実家に押し掛けてきたそうです、。

履歴書には、

『人生の目標:あなたの嫁になること』

と書いてあったといいます。

結果的には何百人も来たそうで、たまたま重なって10人くらいの団体になると、新沼謙治さんのおばあさんが、

『泊まってけ~』

と言って、みんなで雑魚寝して朝食を食べて帰ったこともあったそうです。

新沼謙治の結婚歴や妻は?

新沼謙治さんが結婚したのは1986年。

30歳の時の結婚でした。

妻は元バドミントン選手の湯木博恵さん。

年齢は8歳年上。

湯木博恵さんは世界一に4度君臨したバドミントン女王。

バドミントンが公開競技として行われた、1972年ミュンヘンオリンピックでは3位。

2002年には日本人初のバドミントン世界殿堂入りを果たしています。

馴れ初めは、新沼謙治さんの趣味のバドミントン。

湯木博恵さんが現役を引退したばかりの頃に、新沼謙治さんの地元・岩手県大船渡市を訪れ、バドミントンの指導を受けたことが交際のきっかけでした。

約5年の交際期間を経ての結婚だったそうです。

しかし、妻の湯木博恵さんは2011年に9月に甲状腺癌のため東京都内の病院で死去。

62歳でした。

新沼謙治に子供はいる?

新沼謙治さんの子供は2人。

子供は娘と息子です。

娘の文那さんは一時は声優の仕事をしていたようです。

その後、結婚し2017年に孫が生まれたことを明かしています。

息子の翔大さんは、介護の仕事をしているといいます。

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