高知県出身の広末涼子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
広末涼子の奇行報道の真相は?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は女優の広末涼子さんをリサーチしてみました。
目次
広末涼子の学歴・生い立ち・経歴
名前 広末涼子
生年月日 1980年7月18日
出身 高知県
身長 161cm
所属 フラーム
小学校・高知市立追手前小学校
中学校・高知市立城北中学校
高校・品川女子学院高等部
大学・早稲田大学(中退)
高知県高知市出身。
本名は廣末涼子(読みは同じ)
父親はビルのオーナー。
母親は写真をみて自分だと思ったほど似ているといいます。
3歳年下の妹がいる2人姉妹。
広末涼子さんが生まれたの予定日より1ヶ月早く体重は2000gほどで、1歳の時には川崎病という心臓疾患を患ったそうです。
実家は金物屋を経営していましたが、3歳の頃に隣の飲食店からの出火で全焼。
2年後に跡地に商業ビルを建てたそうです。
小学校は高知市立追手前小学校、中学校は高知市立城北中学校を卒業。
子供の頃はよく川遊びをしていたといいます。
中学時代には陸上部に所属しり、走り高跳びの選手として県大会で2位入賞。
中学から芸能界の仕事を始め、中学卒業と同時に上京。
高校は品川女子学院高等部に進学。
品川女子学院高等部は東京都品川区にある私立の女子校。
2004年から中高完全一貫制になり現在は高校から入学はできませんが、広末涼子さんの時代は高校からも受験でき当時の偏差値は62ぐらいだったようです。
高校は本当は能活動がしやすい高校に入りたかったそうですが両親に、
『高校は普通の学校に行って欲しい』
と言われ同校に入学したそうです。
上京後は神奈川県横浜市の伯母夫婦宅で暮らし通学していましたが、高校時代に広末涼子さんは大人気になっていて通学路にファンが殺到。
SPの人と行動しトイレも普通には行けず、すぐ近くのホテルのトイレに行っていたといいます。
大学は1999年に早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格。
合格後は入学式から欠席が続き初登校は6月。
初登校には取材陣や学生が殺到し、キャンパスでの異例の囲み会見が行われました。
仕事と学業の両立が困難だったことから、大学は2003年10月に中退しています。
広末涼子が芸能界入りしたきっかけ
広末涼子さんは幼少期から芸能界に入るの夢で小学校の卒業文集では『トップ女優になる』、中学1年生の時の文集には『15歳でモデルデビュー、18歳で女優』と書いていました。
1994年の中学2年生の時に雑誌で見つけたCMのオーディションのクレアラシル『ぴかぴかフェイスコンテスト』に応募しグランプリを受賞したことで芸能界入りしています。
1995年にクレアラシルのCMでデビュー。
同年6月にフジテレビ系ドラマ『ハートにS』でドラマデビューしました。
広末涼子 すぐにブレイク
広末涼子さんがブレイクしたのはデビューの翌年の1996年のNTTドコモポケベルのCM『広末涼子、ポケベルはじめる』でした。
同年には2冊の写真集を発売し累計46万8000部を売り上げています。
当時は高校1年生でした。
同年に4本のドラマに出演し、フジテレビ系ドラマ『魔法のキモチ』で主演。
1997年4月には『MajiでKoiする5秒前』で歌手デビューし約60万枚の大ヒット。
その人気は大学の初登校を一目見ようと学生や報道陣ら1000人以上の人だかりができ騒動になるほどで、広末涼子さんは後に、
『高校生から大学生に上がる頃は、名前だけがひとり歩きしたイメージだった』
『すっごく言い方が悪いんですけど汚れた世界に見えてしまって。芸能界自体が嫌だって思って・・・』
と語っています。
広末涼子の奇行報道の真相
20歳の頃には私生活でも追い回されるストレスから仕事を辞めたくなり、どうやったら仕事を辞められるかを考え、太ることを決意し特に好きでなかったラーメン、ビール、クッキー、コーラなどを食べ続け15kg以上増量したといいます。
同じ頃の2001年には朝まで東京のクラブで遊んだ後、タクシーで千葉県まで移動。
運賃は4万円ほどでしたがお金を持ち合わせていなく、現場で出会った夫婦にお金を借りて支払いラフな服装で路上に座り込み、空に向かって片手を上げす姿が写真週刊誌に撮られ『奇行』報じられました。
この報道に長年言及していませんでしたが、2020年9月に『ありえへん∞世界』に出演した際に真相を明かしました。
『これは撮影中止の連絡を(マネージャーが)しそびれて寝たんだな、と思って』
その日は山でロケをする予定でマネージャーが寝坊をして連絡がつかなかったため、自分でタクシーを呼んで現場に向かいましたが、誰もおらずその日の撮影は中止になっていたそうです。
広末涼子の結婚歴と夫は?
広末涼子さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は2003年12月。
23歳時でした。
夫はモデルの岡沢高宏さん。
年齢は5歳年上。
授かり婚で話題になりました。
『もちろん結婚なんて許されない時だったので、そこへの反発は大きかったし、正直、確信犯ですよね。出来ちゃった結婚だと言われたけど、そうじゃないと結婚なんて出来ない状況だった』
後に意図的にそういう状況にしたことを女性誌で明かしています。
離婚したのは2008年3月。
結婚生活は約3年でした。
離婚理由については明かしていませんがインタビューで、
『彼にとっても私の存在がいい影響に思えなかったから。相手が私じゃなかったらこうはなってなかったんじゃないか?って。』
引用 https://gendai.ismedia.jp/
と話しています。
広末涼子の再婚した夫
広末涼子さんが再婚したの2010年10月。
30歳の時でした。
夫はキャンドル・ジュンさん。
6歳年上のキャンドルアーティスト。
キャンドルアートの第一人者でキャンドルによる空間演出、オブジェの制作からアートディレクション、ウェディング演出などをしているようです。
出会いは2010年3月のキャンドル・ジュンさんが主催したハイチ大地震救済支援イベント。
交際がスタートし同年8月には写真週刊誌に熱愛が報道。
出会いから7ヶ月のスピード婚でした。
夫について結婚から7年後の2017年のインタビューで、
『いないと思いますね。これ以上の人は。』
と話しています。
広末涼子の子供は何人?
広末涼子さんの子供は3人。
息子が2人と娘が1人です。
長男が2004年、次男が2011年、長女が2015年に誕生しました。
長男は元夫との子供で離婚後の親権は広末涼子さんが持ち、再婚した時は6歳でした。
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