小林旭の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

東京都出身の俳優、歌手・小林旭さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

デビューしたきっかけは?

マイトガイの由来は?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は俳優の小林旭さんをリサーチしてみました。

小林旭の学歴・生い立ち・経歴

名前   小林旭
生年月日 1938年11月3日
出身   東京府東京市世田谷区
身長   180cm
血液型  AB型

 

小林旭の学歴

小学校・世田谷区立玉川小学校

中学校・世田谷区立玉川中学校

高校・・目黒高校

大学・・明治大学 文学部(中退)

父親は文化映画の照明技師で、母親は小唄・端唄の師匠。

祖父は宮大工。

父親は軍属の特別報道官として南方に出征しましたが、、終戦直前にマラリアにかかり帰国。
ガイコツが皮かぶってるみたいに、痩せ細った姿で帰ってきた父親を見た小林旭さんは、恐怖に慄いたといいます。

小学校は世田谷区立玉川小学校、中学校は世田谷区立玉川中学校を卒業。

中学時代は柔道、空手、弓道などを習い、中学校に柔道部がなかったため、自ら設立しています。

正義感が強く、いものいじめを黙って見ていることができず、ケンカの強かったことからクラスでは一目置かれていました。

高校は目黒高校に進学。

1998年に目黒学院高校に改称されています。

東京都目黒区中目黒にある男女共学の私立高校。

男女共学になったのは2011年にからで、それまでは男子校でした。

現在の偏差値は41~61。

高校時代も柔道部に所属。

高校卒業後は、明治大学・文学部に進学。

現在の偏差値は62。

大学時代も柔道部に所属し、柔道五段。

高校時代に俳優活動を始め、大学は中退しています。

小林旭がデビューしたきっかけは?

小林旭さんは映画関係の仕事していた父親の影響もあり幼少期から映画に興味を持ち、映画『ターザン』のジョニー・ワイズミュラーに憧れていました。

4歳の時に児童劇団『東童』に入団し、1944年、小学校1年生で三越劇場の劇団公演『青い鳥』で初舞台を踏みました。

その後、日活のエキストラを経て、高校入学後1954年に3期日活ニューフェイスのオーディションを受けて合格しました。

小林旭のマイトガイの由来は?

1956年10月公開の映画『飢える魂』でスクリーンデビュー。

18歳の時でした。

1957年9月公開の『青春の冒険』で映画初主演。

1958年3月公開の石原裕次郎主演映画『錆びたナイフ』での演技が評価され、同年10月の『絶唱』でもその表現力を評価され、スターの仲間入りを果たしました。

同年9月に『女を忘れろ』で歌手デビュー。

1959年に小林旭さんをさらなるスターにと日活が付けたニックネームが『マイトガイ』。

MITE-GUYと表記され、前年の1958年11月にリリースした2作目のシングル『ダイナマイトが百五十屯』の爆発的なイメージに由来するといいます。

小林旭の結婚歴や妻は?

小林旭さんの結婚歴は2回。

最初の結婚は1962年11月、24歳の時でした。

妻は歌手の美空ひばりさん。

1937年5月29日生まれで、年齢は1歳年上。

最初の出会いは小林旭さんが12歳の時で、送劇に出演するために行ったNHKで、大勢の大人を引き連れて廊下を歩く美空ひばりの姿を見たといいます。

馴れ初めはそれから10年以上経って、行われた雑誌『明星』での対談企画でした。

2人は互いに人気投票ナンバーワンになったことで対談することになったといいます。

対談の最後の頃に美空ひばりさんに、

『ところであなた、恋人いるの?』

と聞かれ、

『いないよ』

と答えたことで交際がスタート。

結婚の決定打となったのは、美空ひばりさんの父親代わりだった山口組三代目・田岡一雄さんの一言だったといいます。

『天下のひばりが、惚れたと言うとんのや。男冥利に尽きるやろ』

小林旭さんは強引な話しを拒めず、その後は、小林旭さんの意思と別の次元で結婚の話しが進んだそうです。

小林旭さんは後にトーク番組で、

『婚生活でのひばりは懸命によき妻を演じようとし、女としては最高だった』

と述べています。

1964年6月に離婚。

結婚生活は1年半ほどでした。

『ひばりはどこまで行ってもひばりだ。日本のひばりなんだから、世間の人に返してやれや。お前一人のものにはできないんだよ』

結婚生活の終止符を打ったのも、田岡一雄さんでした。

この結婚には美空ひばりさんの母親は大反対で、小林旭さんは入籍を希望していましたが、美空ひばりさんの母親に、不動産処分の問題があるからと断られ続け、結局は入籍はしておらず事実婚状態で、美空ひばりさんは戸籍上では生涯独身でした。

小林旭の再婚して妻は?

小林旭さんが再婚したのは1967年11月、29歳の時でした。

妻は元女優の青木京子さん。

1935年11月23日生まれで、年齢は3歳年上。

高校在学中に映画『思春期』のオーディションを受け、2000人のなかから合格。

東宝の5期ニューフェイスとして演技を学び、154年10月公開の映画『潮騒』で、知名度を上げました。

馴れ初めはボーリング大会でした。

1966年7月に開催された報知新聞主催のボウリング大会で、江利チエミさんが小林旭さんの青山京子さんを紹介し、2人でペアを組んだことがきっかけで交際に発展。

小林旭さんは、

『こういう女はそばにいて安心感を与えてくれるだろうし、支えにもなってくれる』

と思ったといい、交際間もなくプロポーズ。

出会って1年4ヵ月後の1967年11月に麻布鳥居坂教会で結婚式が行われました。

青山京子は結婚後は芸能界を引退し、復帰することは全くありませんでした。

2020年1月12日、肺がんにより東京都内の病院で亡くなりました。

84歳没。

小林旭の子供は何人?

小林旭さんの子供は娘と息子の2人。

長女の小林真実さんは。女優をしていましたが、その後は小林旭さんの個人事務所の社長を務めているそうです。

長男の小林一路さんは2008年に設立した、小林旭さん自身のレーベル『マイトガイレーベル』の社長を務めているそうです。

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