宮藤官九郎の結婚や妻との馴れ初めは?子供は娘。脚本家になったきっかけや学歴・経歴

朝ドラ「あまちゃん」などの脚本を担当したことで知られれ宮藤官九郎さん。
脚本家になったきっかけは?
結婚歴や妻との馴れ初めは?
子供は娘がいるようです。

今回は脚本家の宮藤官九郎さんをリサーチしてみました。

宮藤官九郎の学歴・経歴

名前   宮藤官九郎
生年月日 1970年7月19日
出身   宮城県栗原市若柳
身長   176cm
血液型  O型
所属   大人計画

父親、母親、14歳と9歳年上の姉の5人家族j。実家は母方の祖母が始めた文房具店『文具センタークドウ』を経営。
父親は小学校の校長で、母親は日舞の名取でした。

父親は宮藤さんが部屋の中でサッカーして障子などを破っても怒るどころか、

『子どもと全力で遊ぶことは良いことだ。もっとやれ』

というような人でした。

小学校はは若柳町立若柳小学校、中学校は若柳町立若柳中学校を卒業。(現在は栗原市立)

現在は痩せ型ですが小学校の時はぽっちゃりで、運動は苦手。
野球をやっていいましたが、補欠でムードメーカー。小学生の頃から目立ちたがり屋で、5年生の時には児童会長副会長、6名生のと時には会長に立候補し、

『歌って踊って楽しい若柳小』

とアピールして当選したといいます。

小学5年生からは、年の離れた姉は進学などで実家を離れ、父親は担任赴任したため、5年生から中学1年生の3年間は母親と2人暮らしでした。

目立ちたがり屋は中学時代も変わらず、2年生から2期連続で生徒会長に立候補して当選しました。
当時から文才も発揮し、小・中学校作文コンクールでに2年連続入賞。
「くんちゃんとぼく」というタイトルの作文で、県審査優秀賞・読売新聞社賞も受賞しました。

高校は 築館(つきだて)高校に進学。
宮城県栗原市築館字下宮野町浦にある男女共学の県立高校で、現在の偏差値は48。
2006年に築館女子高校と統合されるまでは男子校でした。

高校時代はバスケットボール部に所属。

『僕はバスケ部で、人気投票みたいな形でキャプテンだったんですけど、1回も試合に出たことがなかったんですよ。』

高校の文化祭では「宮藤の時間」と称し、自作のコントなどを披露しました。

中学、高校時代からビートたけしさん大ファンで『ビートたけしのオールナイトニッポン』にネタを作ってハガキを熱心に送り、3回読まれたといいます。

『ビートたけしのオールナイトニッポン』で相方的存在だった放送作歌の高田文夫さんに憧れて放送作歌を目指し、大学は高田さんを同じ、日本大学・芸術学部放送学科に進学。

入学後は構成作家を目指し、脚本にコースを選びましたが、ゼミの試験に落ちました。

『「君は、僕がいくら言っても僕の言うことを聞かないから」と言われて…「そんな…別に言うこと聞くのにな~」って思ったけど、それで、辞めたんです。』

20歳の頃に舞台のスタッフ募集に応募しスタッフとして活動。

忙しくなり、大学は休学をした後、24歳の時に中退しました。

宮藤官九郎が脚本家になったきっかけ

20歳の時に大学の掲示板で、WAHAHA本舗に所属していた村松利史さんがプロデュースする公演『神のようにだまして』のスタッフを募集しているのを見て応募。
そこで、同舞台の脚本を手掛け、出演もしていた劇団「大人計画jを主催する松尾スズキさんに出会い、松尾さんに

『君はさ、何がしたいの?』

と聞かれ、その時は作業をしていたこともあり、

『別に…』

と答えたといいます。

当時はまだ、「作家になりたい」、「役者になりたい」とも思ってはなく、ただ演劇に関わりたいだけだったそうです。

その後、いくつもの舞台の裏方の仕事を経験。『大人計画』の舞台を観に行った時に、チラシの裏に「文芸部募集」の広告を見つけ電話。

電話には松尾スズキさん本人が出て、以前に「別に」と言ってしまっていたため気まずいと思いましたが、「文芸部って何をするんですか?」と聞くと、

『台本を書いたり演出したりすんだよ。入りたいなら、何か書いて持ってきて』

と言われ、1992年に『大人計画』の文芸部に入りました。
演出助手として活動を始めると、常に数本の舞台を抱えるようになり、家に帰れないほど忙しくなったといいます。

宮藤官九郎 脚本家デビュー後

松尾スズキさんに『劇団員になる?』と言われ、俳優としても活動。演出助手を務めながら舞台にも出演し、バラエティ番組でも構成作家として活動も始めました。

宮藤官九郎さんが脚本家として知られるようになったのは、2000年にTBSで放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』でした。
同ドラマは人気ドラマになり、その後も2002年『木更津キャッツアイ』、2005年『タイガー&ドラゴ』などのTBSドラマの脚本を担当。

2005年には映画『真夜中の弥次さん喜多さん』で映画監督デビュー。
2013年には朝の連続テレビ小説『あまちゃん』の脚本を担当。
2017年には日本テレビドラマ『ゆとりですがなにか』の脚本で、

第67回芸術選奨文部科学大臣賞

を受賞。

2019年には大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の脚本を担当しました。

宮藤官九郎の結婚歴や妻との馴れ初め

宮藤官九郎さんがが結婚したのは24歳の時で、1994年頃。
妻は5歳年上の振付師・八反田リコさん。

馴れ初めは語られていないようですが、八反田さんも『大人計画』の舞台に振付師として参加していることから、劇団で出会ったようです。
結婚した当時はまだ、脚本家として無名で、八反田さんが下積みを支えてくれたといいます。

八反田さんは舞台の振付だけでなく、映画では2001年『ウォーターボーイズ』、2013年『謝罪の王様』、2016年『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』、ドラマでは『うぬぼれ刑事』、『あまちゃん』などの振付を担当しています。

宮藤さんは「普段、妻がいてよかったと思うのはどんなときですか?」との質問に、

『全部です。家にいるといろいろアレですけど(笑)、僕が面白おかしく生きていられるのは奥さんのおかげで、それは忘れないようにしようと思ってます。』

と話しています。

宮藤官九郎の子供は娘

宮藤官九郎さんの子供は娘が1人で、2005年に誕生しています。

2017年には、当時、小学6年生だった娘が小学校の文化祭で演劇の脚本を担当し、それを観た宮藤さんは、

『すごい…テンポもよくてとにかく面白かった! 小学6年生の舞台とは思えない』

とコメント。

宮藤さんは雑誌のインタビュで、

『娘の文化祭の脚本に口だししたくなるのを我慢している』

と語っていたといい、舞台は夫婦揃って観劇したそうです。

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