松岡修造の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

東京都出身の元プロテニスプレーヤー・松岡修造さん

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

テニスプレーヤー時代の成績は?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は元テニスプレーヤーの松岡修造さんをリサーチしてみました。

松岡修造の学歴・生い立ち・経歴

名前   松岡修造
生年月日 1967年11月6日
出身   東京都
身長   188cm
血液型  AB型
所属   ヒーローズマネジメント

 

松岡修造の学歴

小学校・慶応義塾幼稚舎

中学校・慶応義塾中等部

高校・・慶応義塾高校 柳川高校 パーマー・アカデミー・ハイスクール

大学・・大学には進学していません

東京都千代田区出身。

父親は東宝第11代社長の実業家の松岡功さん。

母親は元宝塚歌劇団の星組男役スターだった千波静さん。

3歳年上の姉と1歳年上の兄がいる3人兄弟。

小学校は慶応義塾幼稚舎を卒業。

8歳の頃に、既にテニスをしていた姉の影響で、テニスに興味を持ち、兄と共にテニスを始めました。

10歳から名門テニスクラブの桜田倶楽部で、本格的にテニスを学ぶようになりました。

父親は元テニス選手で、甲南大学在籍時に全日本学生テニス選手権大会で単複優勝し、デビスカップ日本代表に選出。

1955年の全日本年間ランキングでは3位。

国内トップ選手でしたが、家業を継ぐため大学卒業と同時にテニスとの関わりをを一切絶ち、自身のテニス選手としての過去を子供達にも全く話さなかった為、松岡修造さんははテニスを始めた当初父親が、デビスカップ日本代表選手だっがことは知らなかったそうです。

小学校では勉強をしなかったため、成績はよくなく、4年生から落第の制度があり、毎年三学期になると挽回し、なんとか落第を逃れていたといいます。

中学校は慶応義塾中等部を卒業。

慶応義塾中等部の偏差値は70。

内部進学で入学しました。

中学時代はテニスに打ち込み、2年生の時には全国中学生テニス選手権大会で優勝。

高校は慶應義塾高校に進学。

偏差値は76。

内部進学で入学しました。

高校に進学後は、中学3年生の時に覚えた麻雀に『雀士になりたかった』と言うほどハマり、テニスをサボるようになりましたが、後に、

『自分が本当に好きなものはテニスなんだ』

と気づき、2年生の時に、自分自身を鍛え直す為に、両親に反対を押し切ってテニスの名門校の柳川高校に転校。

柳川高校は、福岡県柳川市本城町にある男女共学の私立高校。

偏差値は45。

当時の同校テニス部の島幹夫監督は、スパルタ教育で生徒を鍛え抜く事で有名でした。

日曜日には練習が朝6時から夕方の6時まで続いたといいます。

柳川高校入学から2ヶ月後、『ウィンブルドンへの道』と題された国内ジュニア大会で優勝。

優勝したことでウィンブルドン選手権や全仏オープンのジュニア部門への出場の権利を得ましたが、期間がインターハイの予選期間と重なってしまった為、悩んだ末に辞退。

出場インターハイではシングルス、ダブルス、団体戦の全てを制し三冠達成に貢献しました。

翌年も『ウィンブルドンへの道』で優勝し、今度は高校を1年休学して、二ヶ月間のヨーロッパ遠征に参加。

たウィンブルドンジュニアではシングルスでは3回戦まで進出しました。

帰国後は休学中のため桜田倶楽部でテニスの練習を続けていましたが、この時点では一度たりともプロになるとは思ってはいませんでした。

ある日、世界的名コーチのボブ・ブレットさんに練習を見てもらう機会があり、その時は何も言われませんでしたが、翌日にブレットコーチから、

『明日にでもアメリカに来い。日本に居たら強くなれない』

と電話があり、渡米を決意。

両親を説得し、大学に進学することを条件に了承を得ました。

1985年11月にアメリカに渡り、フロリダ州タンパにあるパーマー・アカデミー・ハイスクールに入学し卒業しました。

松岡修造 テニスプレーヤー時代の成績は?

松岡修造さんのプロテニスプレーヤー時代の成績

ツアー通算 2勝
シングルス 1勝
ダブルス 1勝

生涯通算成績 173勝207敗
シングルス 145勝163敗
ダブルス 28勝44敗

生涯獲得賞金 $1,117,112

キャリア自己最高ランキング

シングルス 46位
ダブルス 95位

パーマー・アカデミー・ハイスクール卒業後、アメリカの大学に進学しようとしていた頃、ブレットコーチの提案でプロ大会に出場。

ATPツアー最下位カテゴリで、誰でもエントリーできるサテライト・トーナメンに出場し、4週全ての大会で本戦に勝ち上がり5週目の大会にも進出。

最初の大会でATPポイントを8ポイントも獲得し、ブレットコーチに、

『いっそのこと、大学に行かずにプロになってみれば?』

と提案され、世界の選手を相手にテニスをしてみたいとの思いで渡米してきたこともあり、プロ転向を決意。

大学に行かないことを母親には怒られましたが、最後には承諾されました。

1986年にプロに転校し、1988年頃から本格的にツアーレベルの大会に出場するようになり、結果を残し、シングルスランキングは年初の252位から年度末には82位と大幅に上昇。

年間トップ100に日本人が入ったのは、九鬼潤さん以来12年振りでした。

1989年には両膝の半月板を損傷するという故障に見舞われましたが、1991年にツアー復帰。

1992年にに初のATPツアーシングルス優勝を達成し、ATPシングルスランキングで自己最高の46位を記録。

24歳の時でした。

1995年ウィンブルドン選手権で、日本人の男子テニス選手として1933年の佐藤次郎さん以来62年ぶりのベスト8入り。

オリンピックにはもソウル五輪、バルセロナ五輪、アトランタ五輪と3大会連続出場しました。

1998年に30歳で引退しました。

松岡修造結婚歴や妻は?

松岡修造さんが結婚したのは1998年2月。

30歳の時でした、

妻は元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子さん。

田口惠美子さんは、1966年2月2日生まれで、年齢は1歳年上。

東京都出身。

日本女子大学文学部英文学科卒業。ハーバード大学教育大学院メディア専攻修士課程修了。

1991年、25歳の時に、テレビ東京に報道局報道局経済報道部記者として入社。

後にアナウンサーになりました。

1996年9月から、1997年12月までワールドビジネスサテライトのメインキャスターを担当しました。

松岡修造と田口恵美子さんはが出会ったの1995年のウィンブルトン選手権の頃のようです。

『自分にないものをたくさん持っている彼女と結婚すれば、絶対に幸せになれる』

と直感したといいます。

松岡修造の子供は何人?

松岡修造さんの子供は3人。

子供は娘が2人と息子が1人。

1999年に長女・恵さん

2003年に長男・修さん

2005年に次女・笑美さん

が誕生しました。

長女の恵さんは、2017年に宝塚音楽学校に入学。

2019年に卒業し、宝塚歌劇団に入団。

稀惺のかずとの名前で活動しています。

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