中原ひとみの結婚歴や夫は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

東京都出身の女優・中原ひとみさん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

女優になったきっかけは?

結婚歴や夫は?

子供は何人?

今回は女優の中原ひとみさんについてリサーチしてみました。

中原ひとみの学歴・生い立ち・経歴

名前   中原ひとみ
生年月日 1936年7月22日
出身   東京都
身長   150cm
血液型  B型
所属   アズユー

 

中原ひとみの学歴

中学校・共立女子中学校

高校・・共立女子高校(中退)

大学・・大学には進学していません

東京都東京市(現在の台東区)出身。

本名は土家里子。

中学は共立女子中学校、高校は共立女子高校に進学。

共立女子中学校・高校は、東京都千代田区一ツ橋にある私立の女子校。

1886年3月に『女性の社会的地位の向上のため、自活の能力の習得と自立した女性としての必要な教養の習得』を目的をして、共立女子職業学校として創立。

1947年に共立女子中学校、1948年に共立女子高校が開校されました。

中高完全一貫制のため、高校の生徒募集はありませが、推定偏差値は60。

高校在学中に芸能活動を始め、高校は中退し、大学などには進学していません。

中原ひとみが女優になったきっかけは?

中原ひとみさんがデビューしたきかっけは、東映ニューフェースに合格したこと。

1953年に、東映ニューフェース1期生として東映に入社。

17歳の頃でした。

同期には高田敏江さん、山本麟一さん、南原宏治などがいました。

中原ひとみ デビュー後

中原ひとみさんは、1954年4月公開の映画『魚河岸の石松 女海賊と戦う』の千春役で女優デビュー。

女優デビューした1954年には5本。翌年の1955年には21本の映画に出演しました。

1957年10月公開の映画『純愛物語』では原爆の後遺症で短い生涯を閉じるヒロイン・宮内ミツ子を演じ、同年のキネマ旬報ベストテン第2位にランクイン。

1960年代初めまでは東映の看板女優として数多くの映画に出演。

以降はテレビドラマに活躍の場を移しました。

中原ひとみの結婚歴や夫は?

中原ひとみさんが結婚したのは1960年。

24歳の頃でした。

夫は俳優の江原真二郎さん。

年齢は同い年。

江原真二郎さんは高校卒業後、東映京都撮影所へ入所。

当初は大部屋俳優でしたが、1957年3月公開に映画『米』で主役に抜擢され、以降、文芸・恋愛・アクション・時代劇と二枚目から敵役まで主演・助演を演じました。

馴れ初めは、1957年に公開された映画『純愛物語』での共演。

江原真二郎さんは主演、中原ひとみさんはヒロイン。

兄と妹役でした。

おしどり夫婦として知られ、ライオンのホワイト&ホワイトライオンのCMには10年以上にわたって家族で出演しました。

夫の江原真二郎さんは2022年9月に、進行性核上性麻痺のため死去。

85歳没。

中原ひとみの子供は何人?

中原ひとみさんの子供は2人。

子供は息子と娘です。

長男の土家歩さんは1964年

長女の土家里織さんは1969年

に誕生しました。

土家歩さんは高校中退し、千葉真一さんが主宰していたJACに入団し、1983年、NHKの大河ドラマ『徳川家康』の森蘭丸役でデビュー。

俳優といして活躍していましたが、1990年5月に一人で車を運転していた際、スピードの出しすぎによる事故で26歳で亡くなりました。

長女の土家里織さんも元女優。

1988年、19歳の時に資生堂のキャンペーンガールとなり、その後もテレビドラマ・CMなどで活躍。

その後、結婚し女優は引退しています。

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