中村梅雀の結婚歴や妻は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

東京都出身の中村梅雀さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

結婚歴や妻は?

子供は何人?

今回は俳優の中村梅雀さんについてリサーチしてみました。

中村梅雀の学歴・生い立ち・経歴

名前   中村梅雀
生年月日 1955年12月12日
出身   東京都
身長   168cm
血液型  AB型
所属   土屋企画

 

中村梅雀の学歴

高校・・荻窪高校

大学・・桐朋学園短期大学演劇専攻

東京都武蔵野市生まれ。

本名は三井進一(みつい しんいち)

父親は歌舞伎役者の四代目中村梅之助さん。

祖父は歌舞伎役者の三代目中村翫右衛門さん。

母親はピアニスト。

『弟と妹が生まれたんですけれども、弟が1日で死んで、妹は死産だったんです。』

兄弟はなく1人っ子。

子供の頃は食が細く病弱な子供でよく熱を出していたそうです。

母親も身体が弱く、よく入院していて母親の実家に預けられていたそうです。

ピアニストだった母親の影響で、、幼い頃からピアノとに親しみ、家ではいつもクラシックがかかっていたそうです

12歳の時のベースを始め、中学生時代にバンド活動を開始。

高校は荻窪高校に進学。

荻窪高校は東京都杉並区荻窪にある男女共学の都立高校。

高校時代もバンド活動に夢中でした。

父親は音楽には猛反対でしたが、祖父は、

『五線譜が読めて楽器が弾ける、そんな役者がいてもいいじゃないか』

と言って応援してくれたといいます。

大学は桐朋学園短期大学に進学。

東京都調布市若葉町にある市立大学。

現在の名称は桐朋学園芸術短期大学。

大学では演劇を専攻しました。

中村梅雀 歌舞伎役者デビュー

中村梅雀さんが歌舞伎デビューしたのは1965年、9歳の時でした。

当時は『中村まなぶ』という名前でした。

初舞台は太刀持ちでセリフはありませんでしたが、30分以上正座をしていたため、初日に足がしびれて舞台でひっくり返ってしまったそうです。

芝居で太刀をそうとする時に倒れてしまい、舞台からはけようにも足が立たなく、後見の人に抱えられて引っ込み、お客さんは沸き、地獄のような初舞台だったそうです。

足がしびれたのはひも付きという袴下を、着せてくれる人が、着崩れを心配してそのひもを思いっきりきつく縛っていたことが原因だったといいます。

『僕はお父さんを尊敬してない。おじいちゃんみたいな役者になりたいんだ!』

高校時代にはバンドに夢中になり音楽を反対され、反抗期もあり、父親に反抗。

『音楽で飯は食えない』

役者を本業としながら音楽を続けようと決め、桐朋学園短期大学に進学。

1980年に曾祖父・二代目中村翫右衛門がかつて名乗った梅雀を襲名。

『二代目梅雀』となりました。

中村梅雀 前進座を退団

中村梅雀さんは歌舞伎役者デビュー後、祖父、父親と同じ歌舞伎劇団『前進座』に所属。

『前進座』梨園の門閥主義からの独立を目的に立ち上げられた劇団。

『私が外で稼いだお金も9割以上劇団に吸い取られていたのです。』

引用 https://fujinkoron.jp/

父親のドラマなど稼いだお金は劇団員に分配されていました。

その慣例は変わらず、昇給もわずかなため、『前進座』を辞めるまで給料は一般企業の大卒初任給以下だったといいます。

インタビューなどを受けるときの衣装代、舞台用の化粧品などは自腹だったため、借金もあったそうです。

劇団内にモチベーションとなってくれる役者がいなかったことなどから退座を決意。

2007年10月に『前進座』を退団。

当時51歳でした。

本来なら止める立場だけれど、できない。お前の苦しさがよくわかるから

引用 https://fujinkoron.jp/

父親の退団の意思を話すと、反対はせず理解を示したそうです。

その後はフリーで活動しており、歌舞伎役者を辞めたわけではないようです。

中村梅雀 俳優として

中村梅雀さんのドラマデビューは1968年10月から放送されたNHKドラマ『文五捕物絵図』。

映画デビューは1972年8月公開の映画『海軍特別年少兵』でした。

前進座所属時代から積極的にテレビドラマなどに出演。

1969年の大河ドラマ『天と地と』に武田勝頼 役に出演し、では祖父・父とも共演して以降、ナレーションを含めると11作に出演。

2時間ドラマに多く出演し、『信濃のコロンボ』、『赤かぶ検事奮戦記』などのシリーズで活躍し、映画では『釣りバカ日誌』シリーズの草森役が当たり役となりました。

中村梅雀の結婚歴や妻

中村梅雀さんの結婚暦は2回。

前妻は一般人のようです。

結婚時期は不明。

離婚したの1995年。

40歳の頃の離婚でした。

中村梅雀の再婚した妻は?

中村梅雀さんが再婚したのは2006年9月。

50歳の時でした。

妻は劇団『前進座』の女優・瀬川寿子さん。

年齢は25歳年下で、結婚時25歳。

『喉が渇いたと思うとさっとお茶が出てきて、かゆい所に手が届く子だと感心しました。』

引用 https://fujinkoron.jp/

当時、前進座に所属していた中村梅雀さんの付き人としてどこへ行くにも行動を共にするようになりましたが、25歳という年齢差もあり、当初は女性として意識してなかったそうです。

しかし、公演が前進座の舞台公演が始まり妻が付き人から離れてしまうと寂しさを感じ、楽屋ににいた妻に、

『僕の部屋でお弁当を食べたら?』

と声をかけ、話しているうちに、

『今度、飲みに行こうよ』

と誘い、飲みに行く思いのほか楽しかったそうです。

『その日から私の部屋で暮らし始めた。というか、私が帰さなかったんです。』

引用 https://fujinkoron.jp/

何回目かのデートの時、台風でだったので、中村梅雀さんの家で飲むことになり、その日から同棲を開始し結婚に至りました。

中村梅雀の子供は何人?

中村梅雀さん子供は2人。

子供は2人とも娘です。

長女は前妻との娘で、再婚時は16歳。

『寿子ちゃんならいいんじゃない』

と娘は再婚の背中を押してくれました。

次女は再婚した妻との子供で、

2015年8月に誕生しました。

結婚9年目の子供で、生まれた時、中村梅雀さんは59歳でした。

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