北海道出身の俳優・安田顕さん。
大学などの学歴や経歴は?
結婚しているようですが、妻との馴れ初めは?
子供は娘?
今回は俳優の安田顕さんについてリサーチしてみました。
安田顕の学歴・経歴
名前 安田顕
生年月日 1973年12月8日
出身 北海道室蘭市
身長 173cm
所属 CREATIVE OFFICE CUE
小学校・室蘭市立絵鞆小学校
中学校・室蘭市立港南中学校
高校・室蘭栄高校
大学・北海学園大学
父親、母親、3歳年上の兄の4人家族。
父親は溶接工。
母親は保険の外交員。
母親が外交員だった時代は託児所などはなく、安田顕さんを背負って営業していたと話しています、。
幼少期は甘えん坊なでしたが、不思議な行動をとり1人の世界が好きでもあったといいます。
港南中学校では柔道部に所属。
中学時代に入ったのは、好きだった子が廊下を走っている柔道部員をスッと振り返って見ていたことで、柔道が好きだと勘違いしたことが理由だといます。
好きだった子は剣道部に入部したそうです。
高校は北海道室蘭栄高校に進学。
室蘭栄高校は北海道室蘭市にある男女共学の道立高校。
現在の偏差値は66。
安田顕さんはなんでも始めると長く、やめるのイヤだそうで、高校時代の柔道部に所属。、
高校2年生のときに黒帯をとったそうです。
中学2年生のとき、ビートルズを聴いたことで、高校時代にジョン・レノンに影響され、丸メガネを掛けていたといいます。
大学は北海学園大学に進学。
偏差値は50。
釧路教育大学を受験するつもりでしたが、試験当日に胃痙攣をおこし試験を受けられなかったそうで、北海学園大学に進学したと話しています。
ちなみに、釧路教育大学の偏差値は55。
大学ではジャズ研究会に入部しますが、レベルの違いを思い知られ退部。
当時、安田顕がやりたかった新聞記者の仕事に有利だと聞いてESS(英会話クラブ)にいきますが、英語がしゃべれないため断念。
秋の学園祭の模擬店でたまたまESSの隣で団子を売っていたのが演劇研究会で、凄く楽しそうだったので、これなら自分でも大丈夫と思い、演劇研究会。
この演劇研究会で、後に『TEAM NACS』を旗揚げするメンバーの森崎博之さん、戸次重幸さん、大泉洋さん、音尾琢真さんと出会いました。
安田顕の兄は音楽プロデューサー
安田顕さんの3歳年上の兄は元は地元の公務員でしたが、バンド活動に目覚め、30歳を過ぎてから独学で音楽活動を本格化。
2002年にユニット「Ruppina」のボーカルを発掘、自身も作家としてメジャーデビューし上京、東京で活動。
その後ラジオディレクターの仕事の依頼を受けて、違う側面から音楽に向き合うことを考え札幌へ戻り、FM北海道(AIR-G’)の番組制作に関わりました。
その後は、北海道の各局サブカルメディアの構築。
『TOYAKOマンガ・アニメフェスタ』等の地方イベント制作など、発足当時からメーカーやアーティストとのパイプ役となり尽力。
北海道出身のシンガーにも楽曲提供しています。
安田顕 就職から俳優デビュー
大学で演劇研究会に入部した安田顕さん。
演劇研究会で、2学年先輩の森崎博之さんは当時、『劇団OOPARTS』と『劇団イナダ組』を掛け持ちしており、森崎博之さんががイナダ組に専念するため、その後釜として安田を紹介したことから、鈴井貴之主宰の劇団OOPARTSに加わりました。
演劇研究会の活動と並行して出演し、1998年に劇団がなくなるまで所属しました。
1993年、20歳のとき、OOPARTS所属と同時に、鈴井貴之さんがの経営する芸能プロダクション・CREATIVE OFFICE CUEに加入。
タレント活動も始めました。
1996年3月に演劇ユニット『TEAM-NACS』を結成し、一度だけ舞台公演を開催。
『TEAM-NACS』は1997年8月に再結成され人気を博し、2004年5月東京にも進出し、日本一チケットが取れない劇団ともいわれています。
大学卒業後は総合病院の医療事務員として就職しました。
就職したのは演劇研究会で芝居をしていましたが、本格的に芝居をするとなると札幌には東京や大阪みたいな芸能の土壌がなく、芝居に未練はあったものの、芝居で食べていくというまでのモチベーションはなかったと話しています。
しかし、就職して10ヵ月後に自分には合っていないと思い退職。
就職してからも、『劇団OOPARTS』には所属していたので、働きながらも少しは出演していたそうで、その関係からジオ番組やバラエティー番組でレポーターとして出演。
北海道テレビの深夜バラエティ番組『水曜どうでしょう』の、番組マスコットキャラのスーツアクターとして出演したことで北海道でブレイク。
大学を卒業して2年たったころにはバイトをしなくても生活できるようになったそうです。
1996年7月公開の映画『ガメラ2 レギオン襲来』の自衛隊隊員役で映画デビュー。
20歳の頃はタレント活動中心で、舞台はやっていましたがドラマ、映画の出演はほとんどなく、ドラマ、映画に出演し始めたの2000年以降です。
2000年11月、北海道テレビのドラマ『四国R-14』でドラマデビュー。
2001年、鈴井貴之監督の映画『man-hole』で初主演。
2006年のドラマ『次郎長 背負い富士』(NHK)で、全国ネットの連続ドラマに初出演。
その後は、東京キー局の連続ドラマ、映画にも出演し、主演も務めるなど、東京での仕事もこなすようになりました。
安田顕の結婚した妻との馴れ初めは?
安田顕さんが結婚したのは2002年。
28歳の頃でした。
妻は一般女性。
馴れ初め・出会いは大学のとき。
大学で同じ授業を受けたことがきっかけで知り合ったそうです。
21歳の頃から交際をはじめ、交際期間8年を経て結婚したそうです。
安田顕の子供は娘
安田顕さんの子供は娘が1人。
2004年に生まれたようです。
安田顕さんは結婚後も拠点は北海道でずっと担任不妊でした。
東京での仕事が多忙で、北海道の自宅に帰れるのは月に1度ぐらいだったそうです。
娘の中学の進学を期に、21017年4月に家族と東京で暮らすようになったそうです。
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