東京都出身の出身の俳優・大倉孝二さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は俳優の大倉孝二さんをリサーチしてみました。
大倉孝二の学歴・生い立ち・経歴
名前 大倉孝二
生年月日 1974年7月18日
出身 東京都立川市
身長 187cm
血液型 AB型
所属 CUBE
中学校・・立川市立第七中学校
高校・・・武蔵村山高校
大学・・・大学には進学していません
専門学校・舞台芸術学院
子供の頃は前に出るタイプではなく、隣とか後ろ辺りまでを少し笑わせるような子供だったといいます。
中学校を立川市立第七中学校を卒業。
中学3年生の頃にはTHE BLUE HEARTSのコピーバンドに誘われて加入しましたが、毎回遅刻してすぐクビなったそうです。
高校は武蔵村山高校に進学。
武蔵村山高校は、東京都武蔵村山市中原にある男女共学の都立高校。
現在の偏差値は46。
高校時代はバドミントン部に所属。
高校卒業後は、専門学校の舞台芸術学院に入学。
東京都豊島区西池袋にある俳優養成を目的した、舞台芸術専門課程が設置されている専門学校です。
1948年に創立した学校で、卒業生には映画監督の山田洋次さん、役所広司さん、いとうあさこさんなどがいます。
卒業後には、劇団『ナイロン100℃』に入団しました。
大倉孝二が俳優になったきっかけは?
『僕、俳優を始めようと思ったことは一度もないんです。演劇養成所に行っていましたが、そのときも、ものを作ることに加わりたい、面白いものに携わりたいという思いでした。』
引用 https://tvfan.kyodo.co.jp/
大倉孝二さんは子供の頃から、コメディ番組が好きで、特に喜劇役者が大好きだったとそうで、お楽しみ会で自分で脚本を書いたりしてたそうです。
ただ、俳優になろうと思ったことはなく、高校卒業後に舞台芸術学院に入学したのも、ただ何となくで、舞台を観たこともなかったと話しています。
大倉孝二さんが芝居の道むきっかけになったのは、初めて自分でチケットを買って観た劇団『ナイロン100℃』の舞台でした。
『びっくりしたんですよね、演劇ってこんなに何でもやっていいんだって。』
テレビで見たことがある役者はひとりもいないのにめちゃくちゃ面白くて、どうやってこれをつくっているのか知りたいと思い、劇団のオーディションを受けたこところ合格したそうです。
受かったのは時は嬉しかったそうですが、その時のオーディションがたまたま役者募集だっただけで、別にスタッフでも何でも良かったと話しています。
大倉孝二 ピンポンで知名度が上昇
劇団入団後は、基本的にアルバイトと演劇だけしていたといいます。
デビューは、舞台『ウチハソバヤジャナイ~version100℃~』で、ゲロを吐く男の役。
1998年10月のフジテレビ系ドラマ『踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル』のDV男の役でテレビドラマデビュー。
24歳の時でした。
2001年い月公開の映画『弟切草』で映画デビュー。
2002年公開の映画『ピンポン』でスキンヘッドの佐久間学/アクマ 役で注目を集め、個性派俳優として知られるようになりました。
この仕事がきっかけは映像の仕事がもらえるようになったと話しています。
大倉孝二の結婚歴や妻は?
大倉孝二さんが結婚したのは2006年9月、32歳の時でした。
妻は女優の朱門みず穂さん。
1973年11月14日生まれで、年齢は1歳年上。
舞台を中心に活動しています。
馴れ初めは、2001年6月の新国立劇場での舞台『贋作・桜の森の満開の下』での共演。
電車の中で朱門みず穂さんに告白され、交際がスタートし、約5年の交際期間を経て結婚に至ったそうです。
大倉孝二に子供はいる?
大倉孝二さんには息子が1人いるようです。
息子は2007年に誕生しました。
2016年10月に『ボクらの時代』に出演した際に、学芸会で息子が端で明かりから見切れていて、それを見て笑ってしまったと話しています。
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