埼玉県出身のお笑い芸人・太田光さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
元芸人の妻の太田光代さんとの結婚の馴れ初めは?
子供はいる?
今回はお笑い芸人の太田光さんについてリサーチしてみました。
太田光の学歴・生い立ち・経歴
名前 太田光
生年月日 1965年5月13日
出身 埼玉県
身長 170cm
血液型 O型
所属 タイタン
小学校・上福岡市立第二小学校
中学校・上福岡市立第二中学校
高校・・大東文化大学第一高校
大学・・日本大学芸術学部中退
埼玉県上福岡市(現在のふじみ野市)出身。
父親は書道家で内装デザイン会社も経営。
焼き肉チェーン『叙々苑』のロゴも手掛けています。
少年時代には落語家の弟子入りを希望したり、太宰治さんに自分が書いた小説を持ちこんだりと、表現することに大きな関心をもっていた人物だったそうです。
母親は独身時代は女優を目指し、劇団に所属していました。
兄弟はなくひとりっ子。
小学校は上福岡市立第二小学校、中学校は上福岡市立第二中学校を卒業。
共に現在はふじみ野市立です。
中学時代は軟式テニス部に所属。
『エースをねらえ!』に憧れて、軟式テニス部に入部しましたが、すぐに幽霊部員になったそうです。
退部はしていなかったため、3年生の時に顧問の先生から『最後くらいは出ろ』とテニス部の追い出しイベントに参加。
そこで1年生と試合をしてコテンパンにやられたそうです。
高校は大東文化大学第一高校に進学。
大東文化大学第一高校は東京都板橋区高島平にある男女共学の私立高校。
共学になったのは1995年からで太田光さんの時代は男子校でした。
現在の偏差値は51~60。
『僕は皆勤賞ですからね。友達1人もいなくて。ただの意地っ張りですけど』
高校入学の初日に誰にも話しかけられず、翌日に話しかけようと思いましたが、話しかけられないまま数ヶ月たち、一人浮いた存在になっていたそうです。
高校時代は演劇部で、唯一の先輩が卒業すると部員は太田光さんひとりだけになり、文化祭では一人芝居をやったといいます。
大学は日本大学芸術学部演劇学科に進学。
『日本大学芸術学部演劇学科を受験したのは、俺にとっての夢が映画を撮ることだったから。』
引用 https://info.asahi.com/
高校時代が孤独だったため、大学でははじけてやるぞと思い、過剰なギャグや物まねでアピール。
高校の時とは違い、向こうから声を掛けてきたそうです。
大学の時に相方の田中裕二さんと出会いました。
大学は卒業せず、中退しています。
太田光がお笑い芸人になったきっかけは?
『自分がお笑いをやるようになった根底には、そういう父親への憧れがあったんだと思いますね』
引用 https://www.oricon.co.jp/
太田光さんの父親は落語家を目指していた時期があったことから、人が集まるを必ずその中心にいて、人を笑わせる人だったそうで、そんな父親に憧れていたそうです。
爆笑問題を結成
太田光さんと田中裕二さんの出会いはは日本大学芸術学部の試験会場。
試験会場で試験官を茶化していた太田光さんを見た田中裕二さんは、
『関わり合いになりたくない』
と思っていたといいます。
入学後にトイレで再会し、田中裕二さんが話しかけると、太田光さんは試験会場の時とは違い
律儀な受け答えをしていたそうです。
田中裕二さんは1浪して入学しているため、1学年上。
その後、2人とも大学を中退。
日本大学芸術学部時代の取得単位は、2人合わせて17単位。
しかも、太田光さんは2単位しかとっていなかったといいます。
大学中退後の1988年3月にコンビを結成。
太田光さんが22歳の時でした。
爆笑問題が干された理由
爆笑問題は渡辺正行さん主催のラ・ママ新人コント大会でデビュー。
その大会で、太田プロにスカウトされ所属。
1988年7月12日放送のフジテレビの深夜番組『笑いの殿堂』でテレビデビュー。
当初はコントもやっていて、コントで注目を集めましたが、次第に漫才を主体になりました。
1990年に太田プロから独立し『スパイシーフルーツ』へ所属。
独立はプロデューサーからもっとマイルドにした方がいいと指示されるなど自分たちがやりたい仕事をやりたかったことが理由の1つだといいます。
しかし、この独立は一方的に辞めたため、太田プロの怒りを買い、一時的に仕事がなくなりテレビからも3年間姿を消すこととなり、干される形になりました。
当時のマネージャーからの誘いがきっかけの独立で、特に覚悟があったわけではなく、なんとなくで、
『じゃあ、いいですよ』
ぐらいの感じでの独立だったといいます。
後に爆笑問題の2人は、
『自分たちが全面的に悪かった』
と話しています。
仕事なかった時は、生活のため田中裕二さんはコンビニで働き、太田光さんのレジのバイトをしていましたが、釣銭を多く渡すなどまともに仕事ができず、家でゲームざんまいの日々だったといいます。
1993年に自らの芸能事務所『タイタン』を設立し、社長には太田光代さんが就きました。
同年にNHK新人演芸大賞を受賞。
翌年の1994年には、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系)で10週勝ち抜き初代チャンピオンになり、『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)で人気を獲得し再ブレイクしました。
太田光と妻の太田光代の結婚の馴れ初めは?
太田光さんと太田光代さんが結婚したのは1990年。
太田光さんが25歳の頃でした。
妻の太田光代さんは1歳年上。
旧姓は松永光代で、かつては太田プロに所属。
爆笑問題と同期で、楠田枝里子さんなどのものまねでお笑い芸人として活動ていました。
馴れ初めは勘違いからだったそうです。
1989年頃に同じ事務所の芸人仲間たちと合同コントをすることになり、太田光代さんの家に集まり打ち合わせをしていましたが、太田光さんが興味のない女性芸人に好かれ、困っていたのをみかねて、太田光代さんが太田光さんを隣に座らせたっそうです。
そのことで、太田光さんは自分に気があると勘違いし、その日から太田光代さんの家に居座り同棲を開始。
『俺はその時から社長は狙っていた。一目見たときにキレイ人だなって思って』
その日が初対面だったそうです。
同棲から半年ほど経った時に太田光代さんが、
『好きでも嫌いでもないなら出て行って』
と告げると、太田光さんは、
『俺たち付き合っているんじゃなかったの?』
と答え、正式な交際がスタートし、結婚に至りました。
太田光に子供はいる?
太田光さん、太田光代さん夫婦に子供はいません。
太田光代さんは結婚したから積極的に子供を作ろうという考えはなく、結婚から6年たっても妊娠なくても、仕方がないと思っていたそうです。
しかし、太田光さんの親から『孫の顔が見たい』と言われた時は、お互いひとりっ子同士の結婚だったためさすがに考え、太田光代さんが33歳の時に妊治療を始めたことを明かしています。
2012年の48歳の時には『顕微授精』もしましたが、恵まれませんでした。
コメント