長くドラえもんの声優を担当していた大山のぶ代さん。
夫の砂川啓介さんはどんな人?
子供には恵まれましたが、死別を経験しているようです。
この記事では声優の大山のぶ代さんの夫や子供などについてをリサーチしています。
大山のぶ代の経歴
名前 大山のぶ代
生年月日 1933年10月16日
出身 東京都渋谷区恵比寿
身長 162cm
血液型 O型
所属 アクターズ・セブン
実家は会社を経営する裕福な家庭で、4世代の同居する13人の大家族で、曽祖父母は江戸時代の生まれでした。
小学生の頃が「男みたいな声」と言われ、中学校に入学すると声のことで偉人られるようになったといいます。
次第に無口になっていきましたが母親に「弱いところはうんと使いなさい。そうすれば強くなる」と言われ放送部に入部。
放送劇で子供か老人まで担当すると、声を笑う人はいなくなったそうです。
三田高校(偏差値67)時代には演劇部に所属。
高校在学中に「劇団・俳優座養成所」の6期生として入所。
市原悦子さんが同期でした。
養成所を卒業後、1956年、22歳の時に『この瞳』(HNK)でドラマデビュー。
個性的な声を買われ翌年の1957年9月に放送した『名犬ラッシー』で声優デビュー。
1979年から放送されたドラえもんで主人公のドラえもんの声を担当。
2005年まで26年間務めました。
夫の砂川啓介は俳優
夫の砂川啓介さんは1937年2月12日生まれで、大山のぶ代さんの4歳年下。
成城高校在学中に映画デビューし、早稲田大学に入学するも半年で中退。
俳優として活動しながら、1962年から放送されたクイズ番組『パイロット スター・プレゼント』(フジテレビ)では司会を担当。
1980年4月からは『お昼のワイドショー』(日本テレビ)、1986年9月からは『砂川啓介 いま!朝です』(TBS)でも司会を務め、タレントとしても活躍しました。
2017年7月11日に尿管癌のため80歳で亡くなっています。
大山のぶ代と夫の馴れ初めは?
大山のぶ代さんと砂川啓介さんの馴れ初めは舞台での共演。
舞台『孫悟空』の共演がきっかけで、1964年、大山さんが31歳、砂川さんが27歳の時に結婚しました。
子供の死因
大山のぶ代さんは2度の妊娠を経験し、1度出産しています。
第1子(男児)は妊娠7か月目の流産。
待望の第2子は娘が誕生し、「絵梨加」と名付けましたが、心臓と肺の先天性疾患のためわずか3か月で亡くなりました。
2度の子供との死別で妊娠恐怖症になり、夫の砂川さんとの寝室も別々になったそうです。
認知症を発症
2001年春に人間ドックで直腸がんが発覚。
入院治療でがんを乗り越えましたが、この入院がきっっかけでドラえもんの降板を決意したといいます。
2008年4月に体調不良から病院に行くと、医師には「呂律が回ってないみたいですね」と言われ脳梗塞と診断され入院。
医師に「身体の麻痺は残らないけれども、記憶が混乱する」と言われ、1か月後にリハビリを開始した時には単純な計算ができないここともあったといいます。
2010年にはアニメ『ダンガンロンパ』で仕事に復帰。
この時は台本はちゃんと読め問題なく仕事はできたといいます。
しかし、鍋の空焚きに気づかなかったり、会話がかみ合わなくなり、出かけると行先がわからなくなり、2012年秋にアルツハイマー型認知症と診断されました。
当初は内密にしていましたが、「誤った情報が流れかねない」と考え、2015年砂川さんがラジオ番組で公表しました。
大山のぶ代の死因
大山のぶ代さんの死因は老衰。
2024年9月29日に90歳で亡くなりました。
認知症を発症してからは砂川さんは家政婦と共に介護をしていましたが、2016年4月に尿管癌と診断され治療のため介護ができなくなり、大山さんは老人ホームに入所。
大山さんは砂川さんの入院中に何度か見舞いましたが、2017年7月11日に砂川さん尿管癌で亡くなった時には早朝の4時30分だったため、臨終には立ち会えなかったそうです。
砂川さんが亡くなった後は、マネージャーの小林明子さんが施設に通って面倒を見ていました。
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