澤穂希の結婚歴や夫は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ちや伝説、凄さ

東京都出身の元サッカー選手・澤穂希さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

サッカーを始めたきっかけは?

伝説や凄さは?

結婚歴や夫は?

子供は何人?

今回は元サッカー選手の澤穂希さんをリサーチしてみました。

澤穂希の学歴・生い立ち・経歴

名前   澤穂希
生年月日 1978年9月6日
出身   東京都府中市
身長   165cm
血液型  AB型

 

澤穂希の学歴

小学校・府中市立若松小学校

中学校・府中市立府中第五中学校

高校・・南野高校

大学・・帝京大学文学部教育学科

父親、母親、1歳年上の兄の4人家族。

幼い頃は人見知りで、兄にくっついてばかりいたといいます。

3歳の頃からは水泳を習っていました。

小学校は府中市立若松小学校を卒業。

幼少期は父親の転勤で大阪で育ち、6歳の時に東京に引っ越し、小学校2年生の時にサッカーを始めました。

中学校は府中市立府中第五中学校を卒業。

中学3年生の時に両親が離婚し、その後は母親と生活しましたが、父親は車で10分ほどのところで一人暮らしをしていて、交流は持ち続けていたといいます。

高校は南野高校に進学。

南野高校は、東京都多摩市南野にあった男女共学の都立高校で、2005年に稲城高校と統合再編されて、若葉総合高校となっています。

現在の偏差値は48。

高校卒業後は、帝京大学文学部教育学科(現在は教育学部)に進学。

教員免許を取得するために同大学に入学しましたが、1999年に渡米しアメリカのチームでプレーすることになり、大学3年生時に中退しました。

澤穂希がサッカーを始めたきっかけは?

『小学校に入る前、ひとつ歳上の兄が通っていたサッカークラブに遊びに行ったときに、コーチから『妹さんも一緒にボールを蹴ってみないか?』と誘われ、初めてグラウンドに入りました。』

引用 https://www.shiruporuto.jp/

グランドに入って、蹴ったボールがゴールに吸い込まれていくのを見て、とても心地よい気持ちになったそうです。

小学校2年生の時に、兄が所属していた『府ロクサッカークラブ』に入団を希望しましたが、女子の入団は前例がないとの理由で入ることも認めてもらえませんでした。

悲しんでいた澤穂希さんを見かねて、母親がチームに、

『女子の入部という前例がないのなら、私の娘でクラブの新しい歴史をつくってください』

と迫り、仮入団が許可されたといいます。

澤穂希の伝説や凄さは?

澤穂希さんは仮入部後、初めて出場した地元の『狛江杯』の試合でいきなりゴールを決め、このことは地元紙のニュースにも取り上げられ、正式に入団。

チームではエースストライカーとして活躍し、小学6年生の時に女子サッカーチームの『ベレーザ』にスカウトされ、下部組織の『メニーナ』入団しましたが、1ヶ月でベレーザに引き上げられました。

中学1年生の夏にリーグ戦に出場し、3試合目に初ゴールを決め、1993年、15歳で女子日本代表に選出され、デビュー戦では4得点を挙げて、同年にリーグベストイレブンにも選出されています。

1990年代末にL・リーグに所属する企業が次々と女子サッカー部の廃部を決め、サッカーが出来なくなることを危ぶみ、1999年に大学を中退し渡米。

コロラド・デンバー・ダイヤモンズでプレーし、翌年の2000年からアトランタ・ビートへ移籍。

この時に米国選手との速さと体格・力の差に驚きましたが、同時に自分自身の技術で、生きていく道が見えたといいます。

その後、アメリカではい技術で実力を発揮し、『クイック・サワ』との異名を取りました。

2003年9月アメリカ女子プロリーグ休止にともない帰国。

2004年にL・リーグの日テレ・ベレーザでプロ選手として国内復帰し、同年に、アジア年間最優秀選手賞を受賞。

チーム優勝にも貢献し、2006年、2008年にはなでしこリーグMVPにも選出。

2011年、経営難の日テレからプロ契約の打ち切りを宣告され、INAC神戸レオネッサに移籍。

同年の2011 FIFA女子ワールドカップではキャプテンとして出場。

決勝アメリカ戦での延長後半12分の同点ゴールの計5ゴール1アシストを記録し、日本サッカー史上初のW杯優勝に大きく貢献。

自身も日本人初となるW杯での得点王とMVPの二冠を達成しました。

2012年には、男女通じてアジア人史上初のFIFA年間最優秀女子選手・バロンドールを受賞。

2015年のFIFA女子ワールドカップ日本代表に選出され、自身6度目のワールドカップに出場。

6度のワールドカップ出場は、男女を通して世界史上最多出場で、2016年にはギネス世界記録に認定されました。

2015年に引退し、引退後は夫のいる仙台に転居しました。

澤穂希の結婚歴や夫は?

澤穂希さんが結婚したのは2015年8月、36歳の時でした。

夫は元サッカー選手の辻上裕章さん。

1976年8月31日生まれで、年齢は2歳年上。

早稲田大学を経て、2000年に当時J2だったベガルタ仙台に入団しましたが、怪我もありトップチームでのベンチ入りの機会はなく、1年で現役を引退しました。

2001年に柏レイソルのスタッフに加わり、ヘッドコーチ・監督のスティーブ・ペリマンの通訳を務め、その後、柏レイソル在籍のまま共同通信社に出向し、運動記者として国内の他ロンドン支局でも勤務。

2012年のロンドンオリンピックでは、日本代表の広報スタッフを務め、2022年には福島ユナイテッドFC取締役副社長に就任しました。

澤穂希と夫の馴れ初めは?

出会ったのは結婚の10年前で、ずっと友人関係でした。

恋愛関係になったのは2014年で、2015年のW杯を控え、引退も考えていた澤穂希さんが辻上裕章さんに相談。

このことがきっかけで交際に発展し、結婚に至りました。

澤穂希の子供は何人?

澤穂希さんの子供は娘が1人。

2017年1月に長女が誕生しています。

娘を出産した時、澤穂希さんは38歳でした。

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