渋川清彦は元モデル!結婚歴と嫁や子供、高校などの学歴や経歴

モデル出身の俳優・渋川清彦さん。

渋川清彦さんの結婚歴や嫁、子供は?

高校などの学歴や経歴は?

今回は俳優の渋川清彦さんをリサーチしてみました。

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渋川清彦の嫁や子供

渋川清彦さんが結婚したのは2014年。

40歳のころでした。

嫁は一般女性。

2014年4月に結婚パーティーが渋谷で行われたそうです。

パーティーに参加した方のブログによれば、参加者は400人ぐらいだったといいます。

子供は息子がひとり。

2019年のインタビューで、

『子どもがまだ3歳と小さいので一緒に遊んだりしています。男の子で、本当に可愛いんですよ。(頬を緩ませ)ちょっと親バカになってると思います(笑)』

引用 https://www.jprime.jp/

と子供について話しました。

結婚の翌年の2015年に第一子の息子が誕生したそうです。

渋川清彦の高校などの学歴や経歴

渋川清彦さんは1974年7月2日生まれ。

群馬県渋川市出身。

身長175cm

本名は田中清彦

実家は桃や梨を栽培する農家。

父親は寡黙な人で、家の中でも余計なことは一切しゃべらない人だといいいます。

中学は渋川市立金島中学校

中学生のとき、同居していた祖母にドラムセットを買って貰いドラムを始めたそうです。

中学からバンド一筋で、学校が終わると自宅で音楽仲間と集まって演奏していたそうですが、農家の実家は敷地が広かったため、近所迷惑は気にせず、演奏し放題だったといいます。

高校は渋川高校

渋川高校は群馬県渋川市にある男女共学の県立高校。

進学校で偏差値は60。

高校時代もバンドに夢中で、複数のバンドでドラマーとして活動していたといいます。

高校卒業後は大学は進学せず、ドラマーを目指して、東京コミュニケーションアート専門学校のドラム科に入学しますが、1年で中退。

19歳とき、バイトに行く途中の茅場町駅で、来日していたアメリカの写真家・ナン・ゴールディンさんに声を掛けられました。

ナン・ゴールディンさんは1994年に来日し、東京のアンダーグラウンドの若者たちを撮影し、荒木経惟さんの写真と交互に並べた写真集『TOKYO LOVE』を発表しました。

その写真集『TOKYO LOVE』のモデルのひとりに渋川清彦さんをスカウトしたそうです。

渋川清彦さんは何もわからなかったので、気軽に引き受けたといいます。

渋川清彦はメンズノンノの元モデル!若い頃は?

渋川清彦さんはナン・ゴールディンさんに連れて行かれた新宿のジャズバーで写真家・ホンマタカシさんを紹介されたことがきっけで、『KEE』という芸名でファッションモデルとしてデビュー。

『KEE』の由来はナン・ゴールディンさんが寄清彦を発音しづらかったため、渋川清彦さんを『キー』と呼んでいたそうで、そのまま『KEE』でモデルの仕事を始めたそうです。

ファッション雑誌『MEN’S NON-NO』や『smart』などの雑誌で活躍しました。

渋川清彦 俳優の道へ

渋川清彦さんは1998年公開の映画『ポルノスター』で映画デビュー。

『ポルノスター』はオーディションだったそうですが、スカウトされ引き受けた写真集『TOKYO LOVE』の写真展のポストカードの表紙が渋川清彦さんだったそうで、それを豊田利晃監督がたまたま持っていて、渋川清彦さんのことを見たことがあったそうで、『コイツ見たことがある』ということで出演が決まったといいます。

以降、豊田利晃監督作品には欠かさず出演しています。

30歳を期に芸名を『KEE』から『渋川清彦』に改名。

芸名の『渋川』は故郷の渋川市と、大好きだった俳優の渥美清さんの苗字と名前に『さんずい』が付いていたことから『渋川清彦』にすれば『さんずい』同じでいいなと思って付けたそうです。

映画を中心に俳優として活動を始めた、渋川清彦さんですが、40歳手前ぐらいまではアルバイトをしていたと話しています。

アルバイトは治験や窓拭きなどをしていたといいます。。

治験は泊り込みで2拍3日を2セットなどで、8万~9万円。

窓拭きはビルでゴンドラに乗って行ってやっていたそうです。

2018年に公開された出演映画は14本で『映画監督が今、最も使いたい俳優の一人』と言われています。

2019年のインタビューで、俳優で生きていく決意をしたのはいつ頃かと聞かれ、

『最近です。俳優やろうかなぁっていうか(笑)今も別にそこまでしがみついてやるっていう気持ちではない気がします。』

引用 https://post.tv-asahi.co.jp/

と話しています。

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