東京都出身の俳優・金田明夫さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の金田明夫さんをリサーチしてみました。
金田明夫の学歴・生い立ち・経歴
名前 金田明夫
生年月日 1954年10月13日
出身 東京都
身長 165cm
血液型 O型
所属 円企画
中学校・豊島区立真和中学校
高校・・北野高校
大学・・大学には進学していません
東京都豊島区出身。
子供の頃はモノマネをやって、お年玉の額を増やしてもらったりしてしたそうです。
中学校は豊島区立真和中学校を卒業。
高校は北野高校を卒業。
北野高校は、東京都板橋区徳丸にあった男女共学の都立高校。
2005年に志村高校との統合され閉校になり、校舎は2007年に開校したは板橋有徳高校の引き継がれています。
偏差値は50ぐらいだったようです。
板橋有徳高校の偏差値は48。
学生時代には水球をやっていました。
大学は受験しましたが、受験に失敗し大学には進学しませんでした。
金田明夫が俳優になったきっかけは?
『大学受験に失敗してやることがなかったので、『何かやらなきゃいけないなあ』って思ったときに、フッと「俳優になるかな」って、そんな感じだったんですよね』
引用 https://plus.tver.jp/
金田明夫さんが俳優になったのは、大学受験い失敗しなんとなく始めたのがきっかけだったといいます。
知り合いの芸能関係の仕事をしている人に、俳優になる方法を聞くと、劇団に入団することを勧められ『文学座』と『現代演劇協会』受験。
文学座は1次で不合格。
『現代演劇協会』に研究生として入り、俳優を目指しました。
両親は反対はせず、母親は劇団の研究所の入所試験の時には、課題の相手役を家でやってくれたといい、月に1万円ぐらいの月謝も払ってくれていたといいます。
金田明夫 40歳手前までアルバイト生活
『20歳で俳優を始めて、40ちょっと前までバイトをしていたのを覚えていますよ。』
引用https://plus.tver.jp/
『現代演劇協会』は入った後に分裂。
『演劇集団円』と『劇団昴』に別れ、ある人の勧めで『演劇集団円』に入団。
1977年、22歳の時に劇団員に昇格。
舞台で俳優デビューし、1979年にzTBS系の刑事ドラマ『噂の刑事トミーとマツ』の4話に出演。
1983年には朝ドラ『おしん』に平野役で出演。
1980年代前半頃には日活ロマンポルノにも出演していました。
やっていたアルバイトは水泳の監視員やビルの管理清掃でした。
1990年代に入ると、テレビドラマを中心に出演が増え、2002年からは『スター・ウォーズシリーズ』クローン・トルーパー役の日本語吹き替えも担当しています。
金田明夫の結婚歴や妻は?
金田明夫さんが結婚したのは1982年。
28歳歳の頃でした。
妻は一般人。
妻とはアルバイトんのプールの監視員同士で知り合いました。
出会った時、妻は大学生だったそうです。
『食えない役者でね。夢と希望しかないやつと結婚なんて無謀なことをしたよなぁと思って(笑)』
まだ俳優だけでは食べられなかった時代に結婚をしました。
金田明夫の子供は何人?
金田明夫さんの子供は3人。
『子ども3人。全然食べられないうちに、子どもが3人いましたからね。ほぼアルバイトの収入で子どもを育てたようなものですよ。』
子供は息子が1人と娘が2人。
長男、長女、次女の順のようです。
自身が鍵っ子だったため、母親には家に欲しかったそうで、『俺が働くからお前は働かなくていい』と妻を外では働かせなかったそうです。
妻は英語ができたので、翻訳の仕事は家でやって生活を助けたそうです。
『3人の子宝に恵まれた金田の66歳という年齢も驚きだが、既に7人の孫がいるそうで、』
2021年2月には66歳で孫が7人いることを明かしています。
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