東京都出身の俳優・志垣太郎さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の志垣太郎さんについてリサーチしてみました。
志垣太郎の学歴・生い立ち・経歴
名前 志垣太郎
生年月日 1951年9月22日
没年月日 2022年3月5日(70歳没)
出身 東京都
身長 170cm
血液型 O型
小学校・大田区立大森山王小学校
中学校・大田区立大森第三中学校
高校・・玉川学園高等部
大学・・日本大学芸術学部
東京都大田区出身。
本名は河村 稔(かわむら みのる)。
小学校は大田区立大森山王小学校、中学校は大田区立大森第三中学校を卒業。
中学時代は剣道部に入部。
高校は玉川学園高等部を卒業。
玉川学園高等部は東京都町田市にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は60。
高校時代はロカビリーに流行り、志垣太郎さんもバンドを結成しボーカルを担当。
大学は日本大学芸術学部を卒業。
現在の偏差値は57。
キャンパスは東京都練馬区。
大学卒業後は、芸能界に進みました。
志垣太郎が俳優になったきっかけは?
『当時の日劇は春・夏・秋の三大おどりが有名で、その煌びやかな世界に僕はすっかり夢中になりました。いつかはその煌びやかな世界に入りたいという気持ちは、この頃に持ち始めたんです。』
引用 https://www.tokyo-np.co.jp/
志垣太郎さんは子供の頃、月に1度母親に銀座に連れていってもらっていたそうです。
銀座で買い物をして、有楽町にあった日本劇場で観劇するのがいつものコースだったといいます。
当時はロカビリー旋風が巻き起こっていたこともあり、バンドで歌手デビューすることも考えましたが、すぐに才能がないことに気づいてあきらめたそうです。
そんな時に、芸術座の舞台『巨人の星』のオーディションを知り、受けてみたところ主役として合格。
高校在学中の1969年に主役で舞台デビューしました。
志垣太郎 俳優デビュー後
志垣太郎さんは1969年の高校3年生の時に俳優でデビューし、当初は本名の河村稔で活動。
翌年の1970年に出演したドラマ『男は度胸』から志垣太郎の芸名に改名しました。
1971年2月から放送されたドラマ『おれは男だ!』(日本テレビ系)で主人公・森田健作さんのライバルを演じ、そのルックスから若い女性からアイドル的人気を獲得。
1976年10月から放送されたドラマ『あかんたれ』で主演を務め、その演技が評価されて幅広い世代に知られる俳優になりました。
その後は、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の『デビル志垣』シリーズに出演するなどバラエティ番組でも活躍。
2022年3月5日、遠征先の佐賀県において、急な体調不良による心不全で死去。
70歳没。
志垣太郎の結婚歴や妻は?
志垣太郎さんが結婚したのは1985年5月。
33歳の時でした、
妻は元女優の白坂紀子さん。
年齢は7歳年下で、結婚時は27歳。
妻の白坂紀子さんは成蹊大学英文科中退。
1979年に渡辺プロダクションに所属し、同年10月にドラマ『幽霊湖の花嫁』(テレビ朝日系)で女優デビュー。
同年に児童向けワイドショー『夕やけロンちゃん』(TBS系)にアシスタントとして出演。
翌年の1980年には、同番組の『今週の歌』として『ドリーム・ブリージン』をリリースし歌手デビューしました。
馴れ初めは志垣太郎さんの一目惚れ。
1982年に時代劇『水戸黄門』で共演し、志垣太郎さんが一目惚れしたことがきっかけで結婚に至りました。
妻の白坂紀子さんは、結婚後は女優業していないようです。
志垣太郎の子供は何人?
志垣太郎さんの子供は息子が1人のようです。
長男・匠さんは1988年5月の誕生。
匠さんは2013年に奥田瑛二監督作品の映画『今日子と修一の場合』のオーディションに合格し、俳優デビュー。
その後、オスカープロモーションに所属してタレントとして活動していました、2020年に5月にオスカープロモーションを退社しています。
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