和泉元彌の結婚歴や妻、子供は?ブレイクしたきっかけやヘリコプター移動。学歴・経歴

東京都出身の狂言師・和泉元彌さんの学歴や経歴は?
ブレイクしたきっかけや、ヘリコプター移動とは?
継承騒動の経緯は?
結婚歴や妻、子供は?

今回は狂言師の和泉元彌さんをリサーチしてみました。

和泉元彌の学歴・経歴

名前   和泉元彌
生年月日 1974年6月4日
出身   東京都
身長   170cm
血液型  A型
所属   TWICE VOICE

本名は山脇 元彌(やまわき もとひさ)。
狂言師の家系で、祖父は人間国宝の九世三宅藤九郎さん、父親は和泉流十九世宗家和泉元秀さん。長姉は女性狂言師の和泉淳子さん、次姉も女性狂言師で十世三宅藤九郎さん。(本名は祥子)
母親の節子さんは狂言プロデューサーで和泉宗家代表取締役を務めています。

元彌さんは岐阜県生まれ、東京育ち。
1歳から父親から狂言を学び、3歳の時に初舞台を踏みました。
父親は狂言業界の中で、厳しいことで有名は師匠だったといいます。

小学校は青山学院初等部に入学し、青山学院中等部、青山学院高等部、青山学院大学と学校はずっと青山学院でした。
中学時代は体操部で部長を務め、高校時代は陸上部に所属。
子供の頃から公演があったため、公演に出演てもまわりに迷惑がかからないように個人競技の部活を選んだといいます。

高校3年生の時には映画『未来の想い出 Last Christmas』に出演し俳優デビュー。
仕事が忙しくなり、大学は8年かけて2001年3月に卒業しました。

ブレイクしたきっかけ

高校3年生の時に映画デビューし、狂言以外のジャンルにも進出し、1993年8月、大学1年生の時には『青春牡丹燈篭』(NHK)でドラマデビュー。

1998年にネスカフェゴールドブレンドCMキャラクターに起用されたことで注目され、2001年の大河ドラマ『北条時宗』では主人公に抜擢。
前年の紅白歌合戦では白組の司会を務めました。
大河ドラマで主演を務めたことでブレイクし、一気に多忙になったといいます。

和泉流宗家継承騒動とは?

父親の和泉流十九世宗家・和泉元秀さんが公演中に倒れると、親子で出演を予定していた27~29日の狂言ライブを、即座に宗家襲名披露公演として行いい、当時、21歳だった元彌さんが「和泉流二十世宗家」を名乗りました。
その後、父親は30日に57歳で他界。

他界後に襲名披露公演が後見人を立てるなどの手続きがなく能楽宗家会の了承も得ていないことが判明し、和泉流職分会では、元彌さんの宗家継承に会員53人中48人が反対しました。
和泉流職分会からは和泉家側に、

『芸が未熟なので、先輩に学んで実力をつけてからではどうか』

と提案しましたが拒否し、「和泉流二十世宗家 和泉元彌」を商標登録出願。
職分会はに和泉家側に話し合いを呼びかけたましたが、これも拒否。
これらの行為に業を煮やした職分会は2002年3月に社団法人能楽協会に元彌さんの除名を申請。
除名の理由は、

『公演のドタキャンや遅刻、協会の批判などで「狂言の伝統と秩序を乱している」』

というものでした。

2002年10月21日に能楽協会は臨時総会を開催し、1100対26という大差で元彌さんの「退会命令」処分を決定。
「退会命令」は「除名」に続く重い処分ですが、復帰の可能性は残されているといいます。

10月30日に元彌さんは「意見を述べる場などを設けていない不当な退会処分」として、損害賠償と退会処分取り消しを求めて東京地裁に能楽協会を提訴。
しかし、裁判所は1審・2審とも「協会内では原告は宗家と認められていない」と指摘。
最高裁が原告の請求を棄却したことで、元彌さんの能楽協会退会は確定しました。

元彌さんは判決後も、和泉流二十世宗家 和泉元彌」と「株式会社和泉宗家」として「宗家」を名乗っています。

ダブル」ブッキングでヘリコプター移動

2001年の大河ドラマで主演後ブレイクし、2002年にはダブルブッキング騒動が話題になりました。
2002年7月27日のスケジュールは、

午前9時10分に岐阜県可児市の文化創造センターで公演終了

午後0時30分:東京・新宿コマ劇場公演『天翔ける獅子ー義経と弁慶』開演

というもので、岐阜から東京までは約400kmのため、その距離を約3時間で移動することが必要でした。
どんな交通機関を使っての物理的に無理だったため元彌さん側はヘリコプターと小型ジェット機をチャーター。

岐阜での公園終了後、ヘリコプターに乗り15分で名古屋空港に着陸。
名古屋空港から小型ジェット機に乗り換え、羽田空港に向かい、10時30分に羽田空港に着陸。
そこから車に乗り、午前11時10分に新宿コマ劇場に到着。
移動時間は約2時間で、遅刻はありませんでした。

プロレスに参戦

2005年10月にプロレス参戦を発表し、2005年11月3日、横浜アリーナで開催のハッスルマニアでプロレスデビュー。
元彌さんは170cm、63kg、対戦相手の鈴木健想選手は193cm、120kgでした。

1万4千人もの大観衆が見守る中で試合は行われ、最後は必殺技「空中元彌チョップ」を連発し、ピンフォールを奪い勝利しました。

結婚歴や妻、子供

和泉元彌さんの結婚歴は1度で、2002年1月、27歳の時に結婚しました。
妻は6歳年上でタレントの羽野晶紀さん。

羽野さんは大学在学中に関西のバラエティ番組で注目を集め、当時は学生劇団であった劇団☆新感線に所属し女優としても活躍しました。

元彌さん羽野さんの馴れ初めはと1998年の舞台『ロミオとジュリエット』での共演で、元彌さんはロミオ、羽野さんはジュリエットを演じ、約2年の交際期間を経て、羽野さんの妊娠を機に結婚。

子供は娘と息子の2人。
2002年4月に長女の采明(あやめ)さん、2004年7月に長男の元聖(もときよ)さんが誕生。
娘、息子共に狂言師をしています。

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