有働由美子の結婚や夫、子供は?アナウンサーになったきっけや学歴・経歴

元NHKアナウンサーで、「news zero」のメインキャスターを務めたアナウンサーの有働由美子さんが学歴や経歴は?
アナウンサーになったきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?

今回はアナウンサーの有働由美子さんをリサーチしてみました。

有働由美子の学歴・経歴

名前   有働由美子
生年月日 1969年3月22日
出身   鹿児島県日置郡伊集院町(現・鹿児島県日置市)
身長   162cm
血液型  O型
所属   ナチュラルエイト

父親、母親、3歳年下の妹の4人家族。父親は中学校の体育教師、母親は専業主婦でした。

鹿児島の実家は竹林の中にある一軒家で、夏には蛇のアオダイショウが室内にいたこともあったといいます。

小学校小学校2年生の時に、兵庫県姫路市に引っ越し、その後は兵庫県西宮市、大阪府豊中市に移り、豊中市立寺内小学校を卒業。
小学6年生の時には児童会長を務めました。

中学校は豊中市立第十六中学校を卒業。
入学した時は新設校だったそうです。
中学時代はバレーボール部に入りましたが。部に馴染めずに退部し、剣道部に入部しました。
剣道部では練習は大変でしたが、部内のルールを自分たつ作ったり楽しかったそうです。

高校は北野高校を卒業。
大阪府大阪市淀川区新北野にある府立高校で、偏差値は75。
高校時代も剣道部に入部。2段を取得し3年生の時にはインターハイに出場しました。

大学は神戸女学院大学・文学部総合文化学科に進学。
兵庫県西宮市岡田山に本部がある私立大学で、文学部の偏差値は55。

大学受験では弁護士を目指して大阪大学法学部(偏差値68)を目指していましたが、不合格になっています。

大学時代には学縁祭の実行委員を務め、イベントを担当しました。

大学卒業後は、1991年4月にNHKに就職しました。

有働由美子がアナウンサーを志望したきっかけ

有働由美子さんが始めて、報道の仕事に興味を持ったのは小学4年生の時でした。

第2次オイルショックで省エネのために教室の電気を消していた時期がありましたが、大阪の繁華街ではネオンがギラギラしている理由が知りたくて、「毎日小学生新聞」に電話すると、丁寧に解説をしてくれたことから、

『私もこういう仕事がしたい』

と強く思ったそうです。

小学校では壁新聞を手掛け、当時から

『面白いことを調べたい、それを誰かに伝えたい』

との思いが人一倍強かったといいます。

その後、大学時代に湾岸戦争が勃発し、戦火の中、世界中のテレビ局の特派員が戦況を伝えている姿をテレビで見て、

『人が行かないところにいって実情を伝えたい』

と思い、報道を志望しました。

就職活動中では大阪の民放局にも内定をもらい、当時はギリギリバブルで売り手市場だったことから、内定をもらったテレビ局には大学生で行くことができないようなステーキハウスで、ご馳走になったといいます。
その後、NHKからも内定をもらい、給料は民放の方が高かったそうですが、悩んだ末にNHKを選択。
民放に内定辞退のあいさつに行った際には、

『あんなにステーキも食べたのに』

と言われたといいいます。

NHKからフリーに転身

1991年4月、アナウンサーとしてNHKへ入局後は大阪支局に配属になりスポーツを担当。

1994年3月に東京アナウンス室に異動し、翌年の1995年からは『NHKニュースおはよう日本』の女性メインキャスターを務めました。
2001年から2003年までの3年間は『NHK紅白歌合戦』で紅組司会を担当。

2002年4月からは『NHKニュース10』のスポーツ担当を経て、2004年3月からはメインキャスターに就任しました。

2007年6月から3年間アメリカ総局特派員としてニューヨークに赴任。
2010年に帰国後、3月からは朝の生活情報番組『あさイチ』のメインキャスターに就任し、2012年から2015年まで『NHK紅白歌合戦』の総合司会を務めました。

2013年2月には『TV60 日テレ×NHK 60番勝負』の番組宣伝のため日本テレビ『PON!』に出演。
NHKの現職女性アナウンサーが民放在京キー局制作の情報番組に出演するのはNHK史上初だったといいます。

2018年に27年間在職したNHKを退職。フリーに転身後はジャーナリストとして活動する意向を示し、2018年10月、『news zero』(日本テレビ)のメインキャスターに就任。
2023年12月には2024年3月に番組を卒業することが発表されました。

有働由美子の結婚歴や夫、子供は?

有働由美子さんに結婚歴はなく独身で、夫、子供はいません。

結婚願望はあったといい、80回以上のお見合いを経験しているといいます。

『30歳を過ぎたころから、自力で(結婚相手を)見つけられるのか?と不安になって』

結婚を心配する親に「心配するなら連れてきてくれる?」とお見合い相手を要求したといい、最初は「人に頼るのはどうなのか」と考えていましたが、1回お見合いしてみると、未知の人々との出会いは思いのほか面白くて何度もお見合いし、お見合いした相手から紹介された人をお見合いをしたこともあったといいます。
2013年には5歳年下の青年実業家との熱愛が報じられていました。
断ることも男性から断られることもあったといい、2021年には「最近したお見合いは今から7年前」と話しました。

子供は「産みたいと思う時期があった」といいます。

『とんでもない間違いをしたのではないか。産む可能性、機能があるのに無駄にしたんじゃないかと。気が狂ったように泣いたりして病院通いした』

40歳の時にある疾患で、産婦人科に通され、医師から、「このままのペースで働いていたら卵巣ダメになって出産できませんよ」と警告を受けたことがきっかけで、子供が産みたい気持ちが膨らんだといい、40代半ばを超えた頃に、

『年齢的にもう無理かな』

と気持ちが落ち着いたと話しています。

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