鰐淵晴子の結婚歴や夫は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

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東京都出身の女優、バイオリニスト・鰐淵晴子さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

結婚歴や夫は?

子供はいる?

今回は女優の鰐淵晴子さんについてリサーチしてみました。

鰐淵晴子の学歴・生い立ち・経歴

名前   鰐淵晴子
生年月日 1945年4月22日
出身   東京都
身長   165cm
所属   アートプロモーション

 

鰐淵晴子の学歴

高校・・大西学園高校

大学・・大学には進学していません

父親は新潟県長岡市出身のバイオリニスト・鰐淵賢舟さん。

鰐淵賢舟さんは米国、プラハ音楽院などに15年間留学し、1938年プラハ音楽院を卒業。

日本交響楽団にも参加した、バイオリニストです。

母親はハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人のベルタさん。

ハプスブルク家とは古代ラテン人の有力貴族の末裔で、中世から20世紀初頭まで中部ヨーロッパで強大な勢力を誇ったそうです。

日本人とオーストリア人のハーフ。

幼少期から父親にバイオリンの指導を受け、子供の頃からバイオリニストとしても活動。

その後女優としても活動しました。

高校は大西学園高校に進学。

大西学園高校は神奈川県川崎市中原区小杉町にある男女共学の私立高校。

現在の偏差値は42。

高校卒業後は、大学などには進学していないようです。

鰐淵晴子 天才少女バイオリニスト

鰐淵晴子さんは3歳の時から、バイオリニストである父親にバイオリンの英才教育を受け、6歳のと時には父親と日比谷公会堂でバイオリンを初演奏。

1951年にNHKのど自慢大会に出演すると、以降は音楽会、放送、写真モデルとしても活動。

7歳の時には、バイオリニストとしてアサヒグラフ1951年8月号の表紙を飾りました。

当時、天才少女バイオリニストを騒がれたといいます。

ノンちゃん雲に乗るで原節子の再来と評される

1952年7月公開の映画『母子鶴』で若尾文子さんの少女時代を演じて、7歳で映画初出演。

1955年6月公開の映画『ノンちゃん雲に乗る』で映画初主演。

正統派美人として『原節子の再来』と評されました。

当時は松竹映画に所属。

1960年代前半には松竹看板スターのひとりとして多数の映画に出演。

1961年には歌手としてもデビュー。

1976年までに9枚のシングルと2枚のオリジナル・アルバムをリリースしました。

1965年には松竹を退社してフリーとなり、他社の映画やテレビドラマにも出演。

1995年には映画『平成無責任一家 東京デラックス』、『遙かな時代の階段を』、『眠れる美女』などで個性的な役柄を演じ分け、

第50回 毎日映画コンクール・女優助演賞

を受賞しました。

鰐淵晴子の結婚歴や夫は?

鰐淵晴子さんの結婚歴は2回。

離婚歴も2回。

最初の結婚は1968年。

23歳の頃。

最初の夫は服部時計店社の御曹司、服部?さん。

離婚は翌年の1969年でした。

2番目の夫は写真家のタッド若松さん。

鰐淵晴子さんは1968年にアメリカへ渡っており、その時に出会いました。

1972年ににニューヨークで極秘挙式。

27歳の頃でした。

離婚したのは1986年のようです。

鰐淵晴子の子供は?

鰐淵晴子さんの子供は1人。

子供は娘です。

1973年6月に長女の理沙さんが誕生しました。

娘の鰐淵理沙さんは洗足学園大学声楽科卒業後、ドイツ・ケルン音楽大学で声楽を学び、ドイツ・アーヘン市立歌劇場の歌手として活動。

2000年9月、日仏共同製作されたミュージカル『ダ・ヴィンチ~光の翼』のヒロイン、モナリザ役に抜擢。

現在はタレントとしても活動しています。

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