大阪府出身の俳優・やべきょうすけさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは丹波哲郎?
結婚歴や妻、子供は?
今回は俳優のやべきょうすけさんをリサーチしてみました。
やべきょうすけの学歴・生い立ち・経歴
名前 やべきょうすけ
生年月日 1973年11月12日
出身 大阪府
身長 163cm
血液型 A型
所属 ハルク・エンタテインメント
中学校・船橋市立葛飾中学校
高校・・公立高校(中退)
本名は矢部 享祏(読みは同じ)。
大阪府で生まれ、6歳の時に両親の仕事の都合で、千葉県船橋市に引っ越しました。
中学校は船橋市立葛飾中学校を卒業。
中学入学後、すぐに数学の授業についていけなくなり、保健室でサボるようになったといいます。
当時は、長ラン・短ランが全盛の時代で、不良という意識は全くありませんでしたが、やべきょうすけさんも来ていたそうで、1年生の時、当時仲が良かった不良の先輩に、
『女にモテたいならアイドルになるか大人の男になるか、どっちかだ』
と言われ保健室で頭にオキシドールをかけられて、翌日には髪がオレンジ色なり、学校に行くと先生に坊主にされたそうです。
正義感が強かった当時の番長の影響もあり、3人の登校拒否の生徒を説得して学校に通わせたといい、売られたケンカは買い、学校の生徒がカツアゲされたと聞くと、野球部の金属バットを借りて2人で乗り込んでケンカしていたと話しています。
放送委員でもあり、先生への質問をハガキのように書いて、毎回ゲストで先生を呼んで放送したいたそうです。
高校受験で滑り止めの私立高校2校に落ちると、担任になぜか、吉本のお笑い養成所・NSC入りを勧められたそうで、当時はNSCの東京校はなく、大阪にしかなかったにもかかわらず、担任はわざわざ大阪から願書を取り寄せていたといいます。
しかし、公立高校に合格し高校に進学。
高校の制服はブレザーでしたが、それを嫌い学ランを着て登校、売られたケンカを買って、反省文を何度も書いたといい、その後自主退学。
『どうせ学校に行ってもこんなことを繰り返していたら、退学になるだろうしって思ってやめました』
引用 https://post.tv-asahi.co.jp/
高校中退後は、アルバイトをしていました。
やべきょうすけが俳優になったきっかけは丹波哲郎?
高校を中退してアルバイトをしてた時に、中学の先生に勧められた芸能界のことを思い出したといいます。
『テレビのクイズ番組を見ていて「ギャラも賞金も貰えるなんて、なんて素敵な商売なんだ」って思い始めちゃって(笑)。』
引用 https://allabout.co.jp/
芸能界を目指して丹波哲郎さんが主催していた丹波道場に入門。
面接で丹波哲郎さんに『どんな役者になりたい?』と聞かれた時に、『別に役者になりたいわけじゃないです。芸能人になりにきました』と言うと怒られましたが、クイズ番組のくだりを話すと、『お前の正直な所がいい』と褒められ、帰りに、
『おい、やべ、名前は何だ?』
と聞かれたので、
『きょうすけです』
と答えると、すごい剣幕で
『バカヤロー!人に名前を聞かれたら名字で答えるんだ!』
と怒られ、やべきょうすけさんは思わず瞬時に、
『アンタが名字で呼んだからだろ!』
ツッコミを入れると、丹波哲郎さんは、ニコッと笑って、
『そうだったか、へへへ』
と謝ってくれたといい、その時、一生この人についていこうと思ったといいます。
丹波道場に入門後は、アルバイトをしながらレッスンを受け、大河ドラマなどにエキストラで行くことも多かったといい、俳優志望というより芸能人になりたくて入門しましたが、現場で役者の演技を見ている内に、自分もセリフをいってみたいと思うようになり、演技の面白さに気づき俳優になる決意をしたそうです。
やべきょうすけ デビュー後
1996年1月公開の映画『キッズ・リターン』のハナヤマ 役で映画デビュー。
同年のVシネマ『喧嘩の花道 シリーズ』で主演を務め、1998年のヤンキー映画『ざけんなよ!』で映画初主演を務めました。
その後もVシネマ、映画を中心に活動し、2007年に映画『クローズZERO』で主人公にアドバイスをするチンピラの片桐拳 役を演じ、
日本映画批評家大賞・助演男優賞
を受賞。
『クローズZERO』は原作者の高橋ヒロシさんと懇意であったことから制作にも関わっていて、漫画『クローズ外伝 片桐拳物語』では原案として本名の『矢部享祏』名義でクレジットされています。
やべきょうすけの結婚歴や妻、子供は?
やべきょうすけさんに結婚歴はなく独身で、妻、子供はいません。
現在は熱愛報道などもないようです。
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