山崎努の結婚歴や妻は?子供は何人?現在の活動や高校などの学歴や生い立ち・経歴

千葉県出身の俳優・山崎努さん。

生い立ち経歴や高校などの学歴は?

俳優になったきっかけは?

妻は元宝塚歌劇団星組出身の黛ひかるさんのようですが結婚の馴れ初めは?

子供は何人?

現在の活動は?

今回は俳優の山崎努さんをリサーチしてみました。

山崎努の学歴・生い立ち・経歴

名前   山崎努
生年月日 1936年12月2日
出身   千葉県
身長   174cm
所属   遊人社

 

山崎努の学歴

高校・上野高校・定時制

大学・進学していません

千葉県松戸市出身。

父親は友禅染の職人、

小学生の時から中学生まで縁故疎開で母親と千葉の山奥の村に疎開。

8歳の時に疎開先で終戦。

終戦後、父親は復員して帰ってきた1年半後ぐらいに脳出血で36歳の若さで急死。

中学卒業後は上野高校・定時制に進学。

上野高校は東京都台東区上野公園にある男女共学の都立高校。

定時制は2008年末で終了しており、現在はありません。

高校にはアルバイトをしながら通いました。

高校にには最初は通ってましたが、そのうち、昼間は働いて、夜も学校へ行かず、上野公園の辺りをうろつきまわっていることが多くなったといいます。

上野には映画館が4件くらいあり、よく映画も観ていたそうです。

高校卒業後は俳優を目指しました。

山崎努 8歳で父親に自分を演じる

『僕は8歳のくせに演技をしたんです。親父の帰還が、さほど嬉しかったわけでもないのに“ここは息子として喜ばないといけない”と思いましてね。』

引用 https://serai.jp/

終戦後、父親が復員し帰ってきた時、喜ぶ自分を演じたといいます。

裸足にわら草履を履いて、普段は歩くのがやっとの坂も駆け上がり、栗のイガが落ちていて踏めば痛いはずなのに、何も感じなかったそうです。

『そのときの表情のない親父の目を見たとき“あっ、(演技を)見抜かれた”と思ったんです。』

引用 https://serai.jp/

その後に自分がどういう行動をとったのか覚えていないそうです。

ただ、その時は『俺は、なんて嫌な奴なんだ』と思ったことは記憶しているといいます。

父親に見抜いていたのと尋ねてみたかったそうですが、1年半後に急死してしまったため聞く機会はありませんでした。

俳優になってしばらくしてから、普段はできないことがある状況に置かれるとでき、普段生まれてこない感情も生まれてくる、それが演技というものだと思い当たったといいます。

山崎努が俳優になったきっかけは?

『都立上野高校の夜間部にいた頃、同級生に演劇好きで俳優になりたい奴がいましてね。彼から“一緒に俳優の試験を受けよう”と誘われたのが、直接のきっかけです。』

引用 https://serai.jp/

山崎努さんは19歳の時、芥川比呂志さんの舞台『ハムレット』を観て感銘を受けて俳優に興味を持ち、そんな時に友人に誘われ俳優座養成所
を受験したそうです。

結果は合格で、誘った友人は不合格でした。

山崎努さんは自分は会社勤めには向かないと思って入ったといいます。

当初は演劇青年でもなかった山崎努さんは何もわからずに憧れて入った感じだったそうですが、やってるうちに熱中するようになったそうです。

山崎努 2度の最優秀主演男優賞

山崎努さんは俳優座養成所を卒業後、1959年に文学座に入団。

翌年の1960年7月公開の映画『大学の山賊たち』で映画デビュー。

1963年3月公開の映画『天国と地獄』でで誘拐犯・竹内銀次郎役を演じ一躍注目を浴びました。

映画が公開された後にはタクシー運転手に、

『あんたがあんな映画をやるから、世の中が悪くなるんだ』

と言われたこともあったといいます。

1960年代半ばからテレビドラマに活躍の場を広げ、1973年4月から放送された『必殺仕置人』の念仏の鉄役に起用され、シリーズ屈指の人気キャラクターとなり、続編である『新・必殺仕置人』にも出演。

1977年10月公開の映画『八つ墓村』で青白く無表情で日本刀と猟銃を手に次々と村人を殺害していく殺人鬼・多治見要蔵役を演じ、強烈な印象を残し作品も大ヒット。

1980年4月公開の黒澤明監督の映画『影武者』で武田信玄の弟、信玄の影武者でもある武田信廉を演じ、

キネマ旬報報知映画賞 助演男優賞

を受賞。

1984年公開の映画『さらば箱舟』、『お葬式』で、

日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞

ブルーリボン賞 主演男優賞

を受賞。

1987年の『マルサの女』でも、

日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞

を受賞しました。

2000年に紫綬褒章受章。

2007年には秋の叙勲で旭日小綬章を受章しました。

山崎努と妻の馴れ初めは?

山崎努さんが結婚したのは1963年。

27歳の頃でした。

妻は宝塚歌劇団星組の黛ひかるさん。

年齢は3歳年下。

出会いはドラマでの共演。

1962年12月に放送されたNHKのドラマ『アラスカ物語』が馴れ初めでした。

このドラマがきっかけで交際がスタートし、翌年に結婚。

結婚式の仲人は『アラスカ物語』の脚本を書いた石原慎太郎さんが務めました。

結婚10ヶ月目の頃、山崎努さんは週刊誌のインタビューで

『いちばん楽しいのは、夕食をすまして、これからの生活についてあれこれ相談するときです』

と話していたそうです。

妻の黛ひかるさんは結婚の翌年のインタビューで、

『2人の約束は、一、ムリなことを言わない、二、相手のコンディションを考えて助け合う。この二つを、その場、その問題で解決して行けばいいのではないでしょうか』

と話していたそうです。

山崎努の子供は何人?

山崎努さんの子供は娘が2人。

次女の山崎直子さんは女優。

1972年12月生まれ。

玉川大学在学中の1992年に篠山紀信撮影で『週刊朝日』の表紙を飾り、1995年から女優として活動しています。

山崎努の現在の活動は?

山崎努さんは長い間コンスタントに作品に出演していましたが、

2019年公開の映画『長いお別れ』以降はしばらく出演作品がなく一部では体調不良を心配する声もあったといいます。

『奥さんが階段で転んで骨折し、山崎さんが献身的に介護しているというのでビックリしました』

引用 https://www.jprime.jp/

妻の黛ひかるさんは2020年に自宅の階段で足を踏み外して骨折。

今までどおりに家事ができなくなったこともあり、訪問介護を頼んで、身の回りの世話をしてもらうようになったそうです。

山崎努さんも骨折後は家事に積極的にするようになったといいます。

2022年4月にNHKのドラマ『正直不動産』で仕事に復帰しました。

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