東京都出身の女優・茅島成美さん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴は2回で夫は?
子供は何人?
今回は女優の茅島成美さんをリサーチしてみました。
目次
茅島成美の学歴・生い立ち・経歴
名前 茅島成美
生年月日 1942年9月14日
出身 東京都
身長 156cm
血液型 A型
所属 Grue
高校・・滝野川女子学園高校
大学・・大学には進学していません
東京育ち。
両親は関西出身。
本名は川上静江(かわかみ しずえ)。
出生名は茅島静江。
高校は滝野川女子学園高校に入学。
滝野川女子学園高校は、東京都北区上中里にある私立の女子校。
現在の偏差値は50。
高校は中退しています。
茅島成美が女優になったきっかけは?
『5年生のときに、私を児童劇団に入れたんです。芸能人にしようとは思っていなかったと思いますよ。』
引用 https://ananweb.jp/
茅島成美さんは子供の頃、人前で全然しゃべれない人見知りで引っ込み思案だったそうです。
それを心配した母親が、小学5年生に時に児童劇団に入れたといいます。
始めてみると、ラジオの仕事でNHKにバスで通うのも、マイクの前に立つのも楽しかったそうです。
受験し一旦仕事を休んだこともありましたが、高校生の時に映画会社の東映の関係者にスカウトされ、東映ニューフェイスのオーディションに、審査なしで合格。
1959年に17歳で6期生として入りました。
当時の芸名は春海洋子でした。
結婚したふりをして東映を退社
東映所属の女優になった後、6ヶ月間、俳優座で演技の研修を受け、翌年の1960年に時代劇『白馬童子』で女優デビュー。
撮影は京都で3年間。
京都は男性社会で厳しく、現代劇志望だった茅島成美さんは毎日着物で過ごさないといけないのも大変だったといいます。
そんな時に大阪のプロダクションと縁ができ、東映をやめようと思いましたが、契約はきびしく、病気か結婚じゃないとやめられなかったそうです。
『でも今思うと、若さって恐ろしいわよ。バレたら、呼び出しどころの騒ぎじゃなかったでしょうね(笑)』
悩んでいると撮影で知り合った助監督が、
『俺の名前貸してあげるよ』
と言ってくれたため、会社に結婚したフリをして1962年に退社しました。
茅島成美 代表作は金八先生
東映を退社後、芸名を茅島成美に改名。
東京に戻りドラマを中心に出演。
1979年10月から放送された学園ドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)に理科教師・国井美代子役で出演。
第4シリーズでは主幹教諭、スペシャル9で教頭に昇。
スペシャル11を最後に定年退職という設定になりましたが、ファイナルにも定年後の設定のもとで出演。
初期からシリーズ32年間のうちの大半に出演して代表作に1つになっています。
『3年B組金八先生』は、タイトル通り金曜夜8時からの放送で、当時は裏番組に人気刑事ドラマ『太陽にほえろ!』が放送されていたため、何をやってもまったく当たらない時間帯でした。
しかし、ヒットしプロデューサーが、慌てて出演者の半年先のスケジュールを押さえていたといいます。
茅島成美の結婚歴は2回で夫は?
茅島成美さんの結婚歴は2回、離婚歴は1回。
最初の結婚は1970年。
28歳の頃でした。
夫は俳優の中尾彬さん。
年齢は同い年。
離婚したのは結婚5年目の1975年。
離婚の理由は中尾彬さんの不倫。
池波志乃さんと共演をきっかけに不倫関係となり離婚に至ったといいます。
中尾彬さんは1978年に池波志乃さんと再婚しました。
茅島成美の再婚した夫は?
茅島成美さんが再婚したのは1990年。
48歳の頃でした。
夫は会社員の男性。
馴れ初めは不明ですが、茅島成美さんが『ご近所だった』と話していたとの情報がありました。
茅島成美の子供は何人?
茅島成美さんの子供は1人。
子供は息子です。
1970年に誕生しました。
中尾学の名前で俳優をしていたこともありようですが、その後はグラフィックデザイナーになったようです。
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