東京都出身の女優・吉行和子さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は女優の吉行和子さんをリサーチしてみました。
吉行和子の学歴・生い立ち・経歴
名前 吉行和子
生年月日 1935年8月9日
出身 東京都
身長 158cm
血液型 B型
所属 テアトル・ド・ポッシュ
小学校・千代田区立番町小学校
中学校・女子学院中学校
高校・・女子学院高校
大学・・大学には進学していません
東京都出身。
父親は作家の吉行エイスケさん。
母親は美容師の吉行あぐりさん。
兄弟は兄と妹。
兄は作家の吉行淳之介さん。
妹は詩人の吉行理恵さん。
2歳の時に百日ぜきにかかり、小児喘息を発症。
喘息が治ったのは52歳の時で半世紀もの間、発作に苦しめられたそうです。
季節の変わり目は特に発作が起きやすく、動会にも卒業式にも出たことがないく、学校の出席日数はいつもギリギリだったいいます。
4歳の時に父親は狭心症のため他界。
34歳での急死でした。
14歳の時は母親は再婚しています。
小学校は千代田区立番町小学校を卒業。
小学生の時に喘息の療養のため、父親の実家のある岡山県の祖父母に預けられたこともあり、中学校は1年遅れで入学。
中学校は女子学院中学校、高校は女子学院高校を卒業。
女子学院中学校・高校は東京都千代田区一番町にある私立の女子校。
キリスト教プロテスタントカルヴァン派長老派教会のミッションスクール。
女子学院中学校の現在の偏差値は76。
完全中高一貫校で、高校での生徒募集はありませんが、毎年20~30人前後の東京大学合格者がいる進学校です。
高校卒業後は、大学などには進学しませんでした。
吉行和子が女優になったきっかけは?
『母が再婚して自分の居場所がなくなったなという感じがしましたし。再婚したお父さんというのはすごくいい人だったし、悪いところはないけれど、やっぱりここにはいたくないというのが強かったでしたね。』
引用 https://post.tv-asahi.co.jp/
吉行和子さんが14歳のに母親のあぐりさんが突然再婚。
再婚相手の義父は良い人でしたが、連れ子の妹もいて、夏の夜に掛け布団を剥いで寝ていたら義父が入ってきて自分の娘だけに布団をかけて出て行ったそうです。
それを見て、義理の妹には罪はないけれど、早く家を出たいという気持ちになったといいます。
中学3年生の時に、初めて芝居というものを観て、こんな世界があったのかと興奮したそうです。
女優としてではなく、絵を描くことや裁縫は得意だったことから、衣装係のような仕事うをやりたいと思い、高校3年生の時に『劇団民藝』が生徒を募集しているのを知り応募。
高校在学中に劇団民藝付属水品研究所を受験して入所しました。
高校生だったこともあり、一度受けてみて何を勉強したらいいかを知って、来年勉強してからまた受けようと思っていましたが合格、
『来年は募集しませんよ』
と言われたため入ったそうです。
衣装係になるつもりで入ったものの、役者志望の研究生と一緒に芝居の勉強もさせられ、舞台に立つことになったといいます。
吉行和子 舞台デビュー
1995年に初舞台。
20歳の頃でした。
1997年の舞台『アンネの日記』で初主演。
主演は公演当日に決まったそうです。
公演の当日、アンネ役の女優が風邪を引いて声が出なくなり、一ヶ月以上稽古場に一緒にいたら、セリフを全部覚えていた吉行和子さんが動きだけ教わり、いきなり出演したそうです。
吉行和子さんのアンネ役は好評で、アンネ役の女優が復帰した後も、ダブルキャストになり、2年近く全国を回ったそうです。
1969年、33歳の時、劇団民藝を退団。
1978年10月公開の日仏合作映画『愛の亡霊』で、
第2回日本アカデミー賞・優秀主演女優賞
を受賞。
2013年1月公開の映画『東京家族』でも、
第37回日本アカデミー賞・優秀主演女優賞
を受賞しました。
吉行和子の結婚歴や夫は?
吉行和子さんの結婚歴は1回、離婚歴も1回。
結婚したのは28歳の時。
『所属していた劇団に、たまたま私に結婚を申し込んでくださった人がいて。そのまま入籍して共同生活を始めたんです。』
引用 https://www.dailyshincho.jp/
夫は劇団関係者だったようです。
『結婚してみて初めて、自分がいかにマイペースで、相手のことを気にしないかがわかりました。』
引用 https://dot.asahi.com/
離婚したのは4年後でした。
吉行和子さんは結婚後、家の中に人がいることに耐えられず、家に帰る前に喫茶店に立ち寄って珈琲を飲んで気合を入れ直さないと帰れなくなってしまったと話しています。
吉行和子に子供はいる?
吉行和子さんに子供がいるという情報はありませんでした。
吉行和子 料理は嫌い
吉行和子さんは料理は嫌いで、2018年に『徹子の部屋』に出演した際には、
『つい最近まで包丁を持っていなかった』
と話し、ハサミで切れないものは食べなかったとも話しました。
食べること自体も好きではなく、最低限の栄養素補給として、ヨーグルト、肉や魚、野菜を食べているといいます。
コロナ禍になってからは、必要に迫られ苦手な料理も自分でするようになったそうですが美味しくはないそうです。
『毎度“なんて下手なんでしょう!”“あぁまずい!”なんて悪態をつきながら口に食べ物を放り込んでいるんですから、寂しいとかいう以前の問題です。』
引用 https://www.dailyshincho.jp/
本当に面倒くさい時にはバターの塊を齧るだけで済ませることもあるといいます。
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