ミュージカル俳優の山崎育三郎さん。
山崎育三郎さんは安倍なつみさんと結婚しているようですが、馴れ初めはや子供は?
高校や大学などの学歴や経歴は?
今回はミュージカル俳優の山崎育三郎さんについてリサーチしてみました。
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山崎育三郎の嫁の安倍なつみとの馴れ初めは?
山崎育三郎さんは2015年12月に結婚。
嫁は元アイドルの安倍なつみさん。
嫁の安倍なつみさんは1981年8月10日生まれで、山崎育三郎さんの5歳年上。
北海道根室市出身。
山崎育三郎さん29歳、安倍なつみさんは34歳ときの結婚でした。
安倍なつみさんは元モーニング娘で1期のメンバー。
1998年1月、16歳の時、『モーニングコーヒー』でメジャーデビュー。
2004年1月、22歳の時に『モーニング娘。』を卒業。
卒業後は女優としても活動していました。
山崎育三郎さんと安倍なつみさんの馴れ初め・出会いは2011年7月のミュージカル『嵐が丘』での共演。
交際期間は約4年間だったそうです。
山崎育三郎の子供は?
山崎育三郎さんの子供は2人。
2人とも息子で、
2016年7月に長男
2018年10月に次男
が誕生しました。
山崎育三郎の実家は岡山でお金持ち?
山崎育三郎と検索すると『実家 岡山』の関連ワードが出てきます。
山崎育三郎さんは小学校も中学校も東京都港区で、小学校時代に所属していた少年野球チームも港区の高輪クラブでした。
調べてみると、岡山の実家は母親の実家で、2016年6月に日本テレビ系『メレンゲの気持ち』に出演した際に母方の実家を紹介したようです。
山崎育三郎さんの母親の岡山の実家は、自然に囲まれた広い敷地の家で、庭にはブランコがあり、ピザ釜もあるようです。
山崎育三郎さんの本当の実家は東京ですが、家は裕福だったようです。
父親の職業は噂では大企業の会社員ですが、山崎育三郎さんは男4人兄弟で、4人全員がアメリカやニュージーランドなどの海外に留学子弟いるようです。
山崎育三郎さんも高校2年生の時にアメリカに留学しています。
このことから、山崎育三郎さんの実家はお金持ちのようです。、
山崎育三郎の高校や大学の学歴や経歴
山崎育三郎さんは1986年1月18日生まれ。
東京都出身。
男4人兄弟の3番目。
名前は長男が祐一郎さん、次男は令次郎さん、四男の弟は厚四郎さん。
兄の2人は海外留学後に会社を立上げ経営者をしてるようです。
父親は転勤の多い会社員で、2年おきに引っ越したそうです。
幼稚園の時、ミュージカル『アニー』を見て感動し、CDを買って貰い何度も聞いて、覚えて歌っていたといいます。
歌のレッスンに通い始め、1997年に全国童謡コンクールで審査員特別賞を受賞。
小学校時代は野球チームにも所属し、ポジションはキャッチャー。
高輪クラブという地元のチームで4年生のときに、低学年チームのキャプテンをまかされ、6年生のときには副キャプテンを務め、全国ベスト8の成績を残しており、野球選手になる夢もあったそうです。
1998年、歌の先生の勧めでミュージカル『アルゴミュージカル』のオーディションを受け3000人の中から主役に合格。
本番初日のカーテンコールの拍手に感動し、ミュージカル俳優になることを決意したといいます。
2000年4月、14歳の時、NHKのドラマ『六番目の小夜子』に出演。
中学3年生の時の声変わり以降、オーディションに受からない日々が続いたそうです。
ミュージカル俳優を目指すのであれば、クラシックや声楽などの基礎を一から勉強したほうがいいと、歌の先生のアドバイスを受け、、高校は音楽系の高校に進学すると決め、中学3年生から本格的に受験勉強を開始。
2001年4月に、東邦音楽大学附属東邦高等学校声楽科に入学。
翌年の2002年7月には、アメリカ合衆国ミズーリ州にあるノースカントリー・ハイスクールへ語学留学しました。
2003年5月、全米高校生クラシック声楽コンクールのミズーリ州大会にて上位入賞し、同年に帰国。
大学は東京音楽大学声楽演奏家コースに進学。
大学在学中の19歳の時ににミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本初演20周年記念公演のオーディションにてマリウス役に当時世界最年少で合格。
2006年9月に大学を2年中途退学して、翌2007年の同公演に立ちました。
山崎育三郎さんはレ・ミゼラブルおたく。
大学時代は、レ・ミゼラブルのマリウス役をどうしても演じたいために声楽科の友人を誘い、学生だけの『レ・ミゼラブル』を上演したほどだったそうです。
2007年11月、ボーカルグループESCOLTAのメンバーとしてアルバム『愛の流星群』でメジャーデビュー。
2011年4月、『モーツァルト!』での演技で
第36回菊田一夫演劇賞・演劇賞
を受賞。
山崎育三郎 ブレイク
山崎育三郎さんは2015年10月から放送されたドラマ『下町ロケット』で物語の重要な人物のひとり、技術者・真野賢作を演じ世に知られるようになりました。
山崎育三郎さんは変声期になった2000年の14歳の時にNHKのドラマ『六番目の小夜子』似出演しますが、生のステージの感動が忘れられなくその後はミュージカル一本で進んでいきました。
そんな、山崎育三郎さんがテレビや映画の映像の仕事にチャレンジしようと思ったきっかけは29歳の時、夢がかなったこと。
山崎育三郎さんの子供の頃からの夢は、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『モーツアルト!』『エリザベート』という帝国劇場で公演している4作品に出演すること。
その夢が29歳で、すべて叶いました。
その一方で、日本のミュージカルは若い人には敷居が高いとも感じていて、ミュージカル界でテレビで活躍されている方は、市村正親さん、鹿賀丈史さん、石丸幹二さんといった方達で、その下の世代はいなかったことから、自分がテレビの世界に飛び込むことで、若い世代にミュージカルを少しでも興味を持ってもらうきっかけになるのではという思いと、30代は、いろんなことにチャレンジして、役者としての幅も広げたいという思いものあり、テレビの世界にチャレンジしたといいます。
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