東京都出身の女優・若村麻由美さん。
結婚しているようですが、旦那や子供は?
若村麻由美さんの遺産とは?
高校などの学歴や経歴は?
今回は女優の若村麻由美さんをリサーチしてみました。
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若村麻由美の旦那や子供
若村麻由美さんが結婚したのは2003年9月、36歳のとき。
旦那は岡山県倉敷市の宗教団体『釈尊会』の代表・小野兼弘さん。
小野兼弘さんは1953年4月18日生まれで、若村麻由美さんの14歳年上。
スキンヘッドで180kgという巨体で、結婚時は50歳でした。
若村麻由美さんと小野兼弘さんの馴れ初め・出会いは日舞。
若村麻由美さんが3歳~16歳まで習って名取になった日本舞踊の坂東流関係者を通して出合ったそうです。
しかし、2007年2月ごろから体調を崩し、同年4月に肝不全のため54歳の若さで死去しました。
若村麻由美さんに子供はいません。
若村麻由美の実家
若村麻由美さんは『実家』で多く検索されているようです。
若村麻由美さんの実家について調べてみると、実家はとんかつ屋だったようです。
店はが東京都練馬区の駅近くにあった『かつ若』という店名だったようですが、跡継ぎがいなかったことで閉店したとの情報がありました。
若村麻由美の遺産とは?
若村麻由美さんは『遺産』で多く検索されています。
この遺産のワードは実家の遺産ではなく、2007年に亡くなった旦那の小野兼弘さんの遺産のことで検索されているようです。
若村麻由美さんの旦那の小野兼弘さんは宗教法人の会長で、亡くなった後には一部の報道で、
『一説には「億単位」ともいわれる遺産はどうなるのか?』
『新橋の料亭に6000万円以上のツケをためて、訴訟沙汰になった過去もあります。』
など遺産があるという説と、遺産どころか負債があるとの説があったようです。
実際に遺産があったのかはわかりませんが、若村麻由美さんは相続を放棄したようです。
『実際、彼女は東京家裁に相続放棄の申述書を提出した。若村の元には会長の資産も負債も残らないことになる。』
若村麻由美さんは結してからを仕事をセーブしていましたが、旦那に死後は本格的な女優活動を再開しました。
若村麻由美の高校などの学歴や経歴
若村麻由美さんは1967年1月3日生まれ。
東京都練馬区出身。
5人兄弟の長女で、妹が3人、弟が1人。
3歳から日舞を習い、16歳のときには坂東流名取を襲名しました。
両親の方針で、小学校5、6年生の2年間、長野県に山間留学したそうです。
信州の山の中に農家にホームステイし、住民票も写し、その家から3キロ以上の山道を歩いて学校に登校していたと話しています。
野菜や米を作る手伝いもし、山村留学の子供のために用意された田んぼでは全部手作業で、田植え、稲刈り、木臼でもみ殻を取りもしたそうです。
長野県といえば信州そばで有名、稲刈りが終わった後の田んぼで収穫祭をする時、食べたキジのだしのそばが美味しくて、蕎麦職人になろうと思ったこともあったといいます。
中学からは東京に戻り、中学時代は3年間生徒会役員と務めたそうです。
高校は淑徳高校
淑徳高校は東京都板橋区にある男女共学の私立高校で偏差値は70。
高校時代は小学生のときの山間留学で食べた蕎麦が忘れられず、蕎麦屋めぐりをしていたそうです。
自分でコレだという店を見つけたら弟子入りしたかったんだとか。
俳優を目指したきっかけも高校時代。
17歳の高校生のときに渋谷で観たい映画がなくて、たまたま無名塾の公演『ハロルドとモード』を観て、雷に打たれたような感覚があり俳優を目指したと話しています。
若村麻由美さんは運命的な出会いだったといい、
『(当時、渋谷で)観たい映画があって、無名塾の公演を観ていなければ、今、私はここにいません』
と話しています。
その公演のパンフレットにを見て翌月にオーディションがあることを知り、申し込み、合格。
高校卒業後、大学には進学せず、俳優・仲代達矢主宰の俳優養成所、『無名塾』に入塾。
入塾から2年が過ぎた20歳のとき、1987年10月から放送のNHKの朝ドラ『はっさい先生』のオーディションに合格し、ヒロインに抜擢。
オーディションは『無名塾』の養成期間中で、本人の意思にかかわらず、全員の履歴書がNHKに送られていたといいます。
若村麻由美さんは書類審査が通ったから行ってらっしゃいと言われ、よく分からないままみんなに付いていったんだとか。
『はっさい先生』は平均視聴率は38.1%、最高視聴率は44.5%を記録し、若村麻由美さんは全国的に知られるようになりました。
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